ひらかれる建築

「近代社会が蓄積してきた技術と建築のストックを、自分たちの志向する生活に合わせて、人々が編集し始めた」この言葉を読んで、まさに自分が漠然とイメージしていたことを言語化したものに出会った、と思った。

 

大学時代、いわゆる建築家にあこがれて、設計演習に力をいれていた。徹夜だって、苦手ながら何回かした。徹夜明けの課題提出日早朝、図面を出力するために車で帰るその途中、何度事故を起こしそうになったことか。そんな、死と隣り合わせの状況で建築を味わい勉強していく中で、まわりの仲間と自分のセンスの差を見せつけられ、建築家という夢は、確か2年生の終わり頃には消え去っていたように思う。この挫折感は、サークル活動が楽しかったことによる高揚感で相殺され、今思うと結果オーライみたいな感じだけれど、その挫折にだけ目を向けると、結構落ち込んだと思う。

 

そんな自分が、建築学科で何を学んで、何を得て、社会に何を還元できるだろうかと考えたときに、漠然と思い描いていたこと。それはきっとこの本で言語化されているのではないかと思う。

 

このところ、グッドデザイン賞を受賞した作品(※)を見たり、雑誌やSNSで建築を街に対して開いた事例を見たりする。もはや、内にこもった、クライアントの生活の拠点としての住宅を供給するだけでなく(もちろんそれも必要なのだけれど)、その役割を終えつつある既存のストックをいまの社会に馴染むように「編集する」という役割が、求められているのだと思う。そして現にその役割を担っている人は、建築を勉強している人だけに限らない。様々な分野の知恵を持っている人が、建築と社会とをつなげるハブの役割を担っているのだと思う。そういう現状を見ると、大学時代にセンスのなさに落ち込んだ自分は、こういった仕掛けづくりの仕事に居場所があるのではないかと期待したりする。

 

ひらかれる建築: 「民主化」の作法 (ちくま新書 1214)

ひらかれる建築: 「民主化」の作法 (ちくま新書 1214)

 

 

(※) 

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