みぎわに立って

昼間と夕方に仕事があって、その間にすきま時間ができたので、近くにある好きな本屋に立ち寄った。店内に入ると、先客が一人いた。声の高いおばちゃんが、並んでいる本を見ながらしきりに店主に話しかけている。

 

つくづく自分は短気で器が小さい、と悲しくなるのだけれど、こういう積極的でおしゃべりなおばちゃんに触れるとついイライラしてしまう。何を言っているのかよく分からなければ、何が目的なのかもよく分からない。こういう人にもにこやかに応対しなければならない店主は大変だなあ。もし自分が将来客商売をするようなことがあったと仮定して、こういうことが起こりうる以上、自分には絶対につとまらないだろうなあ、と思ってしまう。おばちゃんに背を向けたまま、さて今日はどの本を買おうか、と棚を物色する。instagramに投稿されていたあの美しい表紙の本が気になっているのだけれど、どこにあるんだ?

 

あなたのオススメの本は何ですか。ふいにそのおばちゃんの声がこちらに向かって飛んできたので、ぎくりとした。振り向くと、おばちゃんがこちらを見て、微笑んでいる。「すみません、初対面なのに急に話しかけてごめんなさいね」そう謝るおばちゃんの表情からは、こう言うと申し訳ないけれど、申し訳ない感を読み取ることができなかった。こっちに矛先がくるパターンか。

 

「本をたくさんお読みになりそうなお顔をされているので」と言われ、それはいったいどんな顔だ、と声を出さずに突っ込みながら、答えを探す。「いやまぁ、特別好きな本があるわけじゃなくて、いろいろ読みますねぇ、小説も好きですし、いろいろ・・・」と言えば「おすすめの作家さんを教えてください。覚えますから」と返ってくる。これは困った。自分はいま何か試されているのか?とはいえここで、「好きな作家ですか。若松英輔のエッセイとか、好きですねぇ。それに、これは小説でもエッセイでもないですが、内田樹の本は、刺激を受けるし、いま読んでいます」なんて言ったところで、たぶん話が通じないんじゃないか、とも思われる。そこで、無難な答えかどうかはさておき、「小説でしたら、伊坂幸太郎が好きですね。ちょうど昨日新刊が出たので、真っ先に買いました」と答えた。「あぁ、いいですねぇ」伊坂幸太郎は知っていたようで、なんとなく会話は成立した。そして今度は店主が答える番になる。「私はどちらかというと小説はあまり読まなくて、エッセイとか好きですね」。こういうときキチンと答えられる書店の店主はやはりすごい。

 

「それじゃぁ、また来ますね」おばちゃんが出た後、店内の空気は一瞬にして静かになった。結局、instagramで見た表紙の美しい本は売れてしまったらしく、同じくinstagramで知った別のエッセイを、買った。「伊坂幸太郎さん、好きなんですね」レジで店主に声を掛けられ、たじろぐ。え、ま、まぁ。「前にもいらっしゃいましたよね。お近くなんですか?」覚えてもらえていたとことを知り、急に嬉しくなった。話ついでにいまのおばちゃんについて聞いてみたら、どうやら常連でもなんでもなく突然来た方らしい。

 

いったいあのおばちゃんは何者なんだろう。好きな本は何かと質問し、答えさせるおばちゃんは、もしかしたら本の世界の妖精で、私がこの本屋で本を買う資格があるかどうかを確かめる面接官だったんじゃないか。そんな気がしてきた。

 

だとすると。店主があまり読まない小説をチョイスし、大好きな伊坂幸太郎をアピールすることもできなかった自分は不合格か。「好きな作家ですか?その話をすると長くなりますけれど、いいですか?」なんて気の利いた言葉がなぜ口をついて出なかった?「松浦弥太郎さんのエッセイが大好きで、たいていの本は読んでます」と素直に言えばよかったじゃないか。

 

不合格の烙印を押されたのではないかという不安を、まぁ好きな本なんてひとそれぞれだから、なんだっていいんだよ、と無理やり自分に言い聞かせてごまかす。そうして手にした本は、雑誌で見て気になっていた熊本の本屋の、店主がつづったエッセイだ。「流れる水のような」文章がきれいで、読んでいて心地よい。こういう文章を、書けるようになりたい。

 

みぎわに立って

みぎわに立って