読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

光線

今日も、行きつけのパスタ屋にて。

 

自分にとっての「避難場所」と呼べるかどうかは分からないけれど、ここに来れば落ち着ける、ここに来れば物思いにふけることができる、ということは、きっと自分にとっての居場所に違いないのだろう。いつもと違う時間帯に来ると、また違う発見があったりして、嬉しい。

 

 

「誰とも会わずに、ひとりで過ごすなんて、寂しくてできない。常に誰かと、つながっていたい」という人もいると思うけれど、私はいままで、そう思う理由が分からなかった。一人の時間ばんざい、誰とも会わずにボケーっとするのが好きだ、人と会わなくても、寂しいなんてありえない。そう思っていた。

 

しかし、今日の自分の行動を冷静に振り返ると、ひとりの時間を好んでじっとしてる、というよりは、人のいるところへ、人に会いに、人と話をしに、動いているように思う。

 

服屋でデニムを買った。このサイズのこれを買う、とあらかじめ決めていたので、サッと店に入ってサッと買っておしまい、とすることもできた。もともとそうするつもりだった。だけど、丈を調整する関係で店員と会話が生じ、結果、その会話を楽しんでいた。30分ほど待って店に戻り、ニンマリしながら番号札を店員さんに見せる。そこでの会話は、機械的に買っていたら生まれなかった。

 

雨が降っててちょっと気持ちもどんよりしていたので、花屋に寄った。そこで、気になった花の名前と咲いてる期間を、店員さんに聞いた。別に何も言わずフツーに買えば良いのに。どうせ名前なんて聞いたって、すぐ忘れるのに。でも、会話をしようと、思った。

 

人と会わずにひとりの時間を楽しむ。ただ機械的に、買うという目的を遂行する。そう思って店に入っているつもりだったのに、実は人と会うことを楽しみにしてるんじゃないか。このパスタ屋も、そうだ。ただひとり、黙って松浦弥太郎さんの本を読んでいるだけで、自分の世界に入り込むつもりだったのに、実は店員さんの素敵な笑顔に触れることを期待していたんだ。「ひとりの時間、大好き」「寂しくもなんともない」なんて強がっていたけれど、結局のところ、人とつながりたい、人と会いたい、人に触れたい、と思ってたんじゃないか。

 

 

レジで会計を済ませる時も、きれいな店員さんと目を合わせることができず、ついそっけない返事をした。相手が自分を常連だと認識しているような素振りを期待するなどという、受け身な姿勢が良くないんだ。こっちから、「私はあなたを意識してますよ。特に何とも思わないただの店員さんじゃない、ましてや機械でもない、ひとりのコミュニケーションの対象である人として(あわよくば、仲良くなりたい人として)、意識していますよ」という意思表示をしないと、関係は深まらないんだ。先手必勝。常連であることを間接的にアピールできるポイントカードを差し出すその時に、一言「いつもありがとうございます」て言えばいいじゃないか。あなたを意識していますよ光線は、もっと積極的に発しなければダメなんだ、と思った。