気に入っているバンダナを失くした。どこで落としたのか、心当たりがほとんどない。おそらく電車の中か、駅に降りて構内を歩いている時か、もしくは待ち合わせ場所の本屋でぶらぶらしている時か。いくつか候補はあるのだけれど、思い出せない。コートのポケットから財布かスマートフォンを取り出したときに、一緒に入っていたそれがぽろっと落ちてしまったのだろうか。それなら気づきそうなものだけれど、センサーが行き届かなかったのかもしれない。いずれにしても、注意力がなくなったというか、鈍感になったというか、よくないと思った。自分はこんなに粗忽だったのか、と悲しくなった。
たかだかバンダナ1枚、と思われるかもしれない。自分でも心の奥ではそう思っている。バンダナと言っても、ほぼハンカチとして使っていた。同じ作家さんのバンダナは10枚近くもっている。また買えばいいじゃないか、と言われれば、その通りだ。けれど、なぜだろう。自分でも驚くくらい、落ち込んでいる。そのバンダナには、自分の体の一部がしみ込んでいるように感じられるのだ。それを落としたということが、自分を形づくる細胞の何個か(あるいは何百個、何千個か)が体から離れてしまったことを意味するようで、しばらく呆然としていた。前職でお世話になった方と久しぶりに会う予定があったので、そこで悲しみが紛れたのは良かった。帰宅してからしばらく、久しぶりに会えた余韻に浸りつつも、放心していた。
駅員さんに逸失物の届け出がないか問合せをしたけれど、残念ながらなかった。もしかしたら本屋には届け出られているかもしれない。こちらに問合せをしてみよう。手拭きとして使っていたものなので、誰かが拾ってくすねるというのは考えにくいから、可能性は低くないと思っているのだけれど、そこに希望を見出すのは、平和ボケの証なのだろうか。