本棚から久しぶりに、三角みず紀「とりとめなく庭が」(ナナロク社)を引っ張り出して、移動中の電車内で読んだ。休日の昼間であるにも関わらず、思いのほか電車内は空いている。それでも座席中央に立ち、文字に集中する。座ったらなんだかぼんやりしてしまいそうだから、本当は座りたいけれど、座りたくない。ある程度緊張感を浴びながら、エッセイをじっくり味わいたかった。
各エッセイの中には一編の詩が潜んでいる。エッセイと、各行の文字数が統一された整然とした詩を読んで、彼女の繊細な心の内を、自分の脳や肺に取り込む。特に女性が書くエッセイに、読む心地よさを感じるのは、ないものねだりの結果なのだろうか。
数年前に、すてきな鉢植えをもらった。うれしくて丁寧に台所に飾っていたものの、プレゼントしてくれたひとと疎遠になるにつれて、徐々に枯れはじめた。他の植物より水をやらなかったとか、眺めなかったとかではない。いつしか完全に枯れてしまい、さみしい気持ちでごみ袋にいれた。寡黙であっても、主張してこなくとも、察するのだろう。枝にまとわりつく感情を。
植物に対して「寡黙」と言ったり、枝に感情がまとわりつくと表現したり。言葉自体には驚くのだけれど、言葉がすっかり馴染んでいるので違和感が全くない。気持ちよく読み進められる。こうした文章を自然に書けるのが、すぐれた書き手なのだろうと思う。
慎重に、あれこれ探して悶えながら、文章を作り出す。ものすごい労力をかけて、集中して、書いているのだということが、橙書店店主の田尻久子さんの推薦文からも分かる。本を紹介する立場の人間として、私がもっと真剣に考えなければいけないこと。それは何より、こうした「ものすごい労力をかけて、集中して、文章を生み出している書き手」をより多くの方に知ってもらう術を見つけることだ。そしてそのためには、他の誰でもない私自身が、もっと労力をかけて、集中して、何年経っても褪せない、本心をそのまま抽出したような文章を生み出し、表現する必要がある。毎週末、休日に思ったことをなんとなく書き留めるといった、ある程度気軽な姿勢も大事だけれど、もっと慎重に、言葉が相手にどう伝わるかを一生懸命想像しながら書くこともまた、同じくらい大事だ。
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