イライラから得意を導く

「好き」と「得意」って違うのだろうか?そんな話の流れになって、うーんと考え込んでしまった。好きだと思うことはたくさんある。得意だと思うことも、まあ多くはないけれど、ある。ただ、好きなことは例外なく得意かと聞かれると、違う気がする。逆に、得意なこと(得意でしょう、と他人に言われること)が好きでやっていることかというと、それも違う時があるだろうと思う。それでも、「本当に好きなら、だんだん得意になっていく(上達する)はずだ」という意見には、ある程度頷ける。好きこそものの上手なれ、と言うくらいだし。好きなら得意、なのか、得意なことは好き、なのか。考えているとどんどん混乱していく。

 

そんななかで「他人の言動にイライラするようなことがあったとしたら、それは自分が得意なことなのかもしれない」という言葉を聞いて、はっとした。「なんでこれができないんだろう」「なんでこの感覚が分からないのだろう」と他人に対して感じるということは、自分では意識していないにせよ、それが他人よりも(簡単に)できるということである、というのだ。なるほど、と思った。

 

とすれば、日常生活の中でのささいな「イライラ」を見逃さず、その理由を深く考えて行けば、自分の「得意」を発見できるということなのではないか。「好き」は意識できても、「得意」はなかなか意識しずらい。他人に褒められて初めて気が付くこともあるだろう。そんな「得意」が自分にもまだたくさんあるのだということに気付けて、自分で自分を承認してあげられるようになるために、この「イライラから得意を導く」という考え方は、かなり有効なのではないだろうか。