自分の体の健康を誇るとき、思い出すのはたいてい、小学生・中学生くらいのころのことだ。皆勤賞とはいかないまでも、小学校~中学校の9年間は、ほぼほぼ休むことなく、学校に通っていた。熱が出てしまってどうしても家から出られない、そんな風邪をひくことは、年に一度、あるかないかくらいだった。
それくらい学校が好きだった?いやいや、そこまで好きだったわけではない。友人関係だとか、宿題をやらなかった罰に対する恐怖だとか、つらい稽古(中学生の時は剣道部に所属していた)だとか、懸案事項はたくさんあった。30年ほど前のことを今思い出しても、「よくあの頃はくすぶりもせず、逃げ出さず、通学してたな」と、どちらかというと自分に感心するくらいだ。ただ、時に退屈で苦痛ではあっても、授業というものそれ自体はどちらかというと好きで、しっかり学んでいた方だったと思う。中学のテストの成績も、悪くはなかった。今でも覚えているのが、1年生の1学期の中間テスト。終わってしばらくすると一人ひとりに成績表が配られた。そこでは学年全体で点数の合計が1~10位の生徒にはA、11~20位にはB、とアルファベットの評価が記されている。自分の評価は、Aだった。あ、自分って、学ぶことにもっと誇りをもっていいんだ。自信をもっていいんだ。この調子で目の前の勉強をしていけば、先生に承認される。つまりは、まともな人間なんだ。そう高揚したことを覚えている。ただ、学力を自慢する感じ悪いヤツだと思われるのが嫌だったので、逆に友達にばれたくないと思っていた。
横道に大きくそれたけれど、それくらい、学校生活に対する「違和感」みたいなものにはあまり縁がなく、当事者としてはそれなりに愉快に、過ごしてきた。その頃の自尊心を形づくっていたのは、「風邪をめったにひかない健康体」であるという自信だった。その自信が、社会人になってもうすぐ20年になろうという今、崩れつつある。
このところ割と頻繁に訪れる体調不良。今週は熱が出てなかなか下がらなかった。唾をのむ度に喉に激痛が走る。医者に診てもらい、薬をもらって飲み、治るまでにまる3日はかかった。自尊心を形づくる最後の砦がなくなってしまったようで、社会人になってからは、風邪をひいた時も、インフルエンザにかかった時も、コロナウイルスに感染した時も、結構なショックを受けた。ただまあ、人間である以上は仕方ない。たまに不調になるのが普通だ、くらいに考えを改めた。強くあろうとすることはもう諦めた。仮に大人になってからも「自分はほとんど体調を崩さない健康人間である」という信憑を持ち続けていたとしたら、4年前に脳梗塞で入院した時点でもう死んでいる。
処方される薬も大事である。副作用がどうとかはひとまず置いておいて、医師に従って飲むべきだ。たいていはすぐに治る。ただ、病院で、医師の診察を受けて、処方される薬を飲みながら静養する。それだけが治療ではない。日々の暮らしの中で、学びの機会を提供してくれる本を読み、心身をアップデートする。そうすることで癒える傷がある。つまり「言葉」も重要な「薬」になる。従来の医療の枠組みを拡張して、人を健康にするために、医師にはもっといろいろな「できること」があると主張し続けている医師の稲葉俊郎さんのように、私ももっと広い視野で、自分の心身の健康と向き合えるようでありたいと思う。
それと同時に、今の自分の仕事も、既存の枠組みを取っ払って、より本質的・根源的な部分に目を向けて進めなければいけないと思う。例えばいま本を売っているのは、読み手の成長を促して、より快適な人間社会にしたいと思うからだ。法科大学院で講座運営を行うのも、司法試験に合格して法曹を目指す学生が、将来正しい方法でクライアントを救ってほしいと思うからだ。細かく、時に憂鬱なメールのやりとりに目をくらくらさせながらもコーポラティブハウス管理組合のメーリングリストに文字を打ち込み続けるのは、そうすることで管理組合員の暮らしが豊かで快適になると信じているからだ。それらの目的が明確にイメージできていれば、そこに至る手段は、今の仕事の枠内でなくても良いのだと気づく。このように、仕事への向き合い方を自由に変えられるようになったのは、本のおかげに他ならない。