大人としての自分の厚み

昔から自分に自信を持つなんてことはほとんどないのだけれど、こうして週末にブログを書くことについては、自分でも結構驚くくらい続いている。数えてみると、もうすぐ16年経つようだ。16年続く何かを他に持っているだろうか、考えてみる。社会人生活とか、そうした当たり前のことしか思い浮かばない。それこそ呼吸とか。

 

それでも最近はなかなか書くことができず、寝る前にパソコンをにらんでは、「今日はもうダメだ」と諦める日が多い。昔はそんなこと、あまりなかったのではないだろうか。もしかして書くスピード、書こうとする意欲は、経験とは裏腹に衰えているのだろうか。

 

今日も、ブログを開いてからしばらく「記事を書く」ボタンを押すことができず、過去の記事を、任意に思いついたキーワードで検索して眺めた。え、そんなことあったっけ。全然憶えてない。ほんの10年くらい前の出来事であっても、まるで記憶に残っていないことがあり、呆然とする。自分の記憶力って、そんなものなのか?

 

ただブログを書き続け、そのテキストを残すことのメリットの一つは、何年か後に振り返って記憶をよみがえらせる、その行為を可能にする点にあると思っている。まるで思い出せないことも確かにある。しかし、そう言えばあそこ、過去に行ったことあったな、とか、仕事でこんな失敗をしたっけ、とか、そういうことは記録を見て初めて思い出せるというのがほとんどだ。そうやって過去の自分に戻ることで、自分にしみ込んでいながら体の奥にある深海に沈んでいたものが、ふわっと浮かび上がってきて、大人としての自分に厚みをもたせることができるのではないだろうか。

 

なので、土日のうち一日サボったとしても良いとする。長い目で見て書き続けることの方が大事なのだ。「ああ、もう続かないわ」とさじを投げてしまったら、その日から記録が途絶えることになる。そうすると将来の自分が、過去を振り返り、その期間の記憶を大人としての自分の厚みに変換するということができなくなってしまう。そのことに対する「もったいない」精神が、ブログを書き続けるモチベーションになっている。そのことに、書いている今、気づいた。