未来の恐怖を受け止める勇気

読書の楽しさを伝え、本を売る。そのことを究めようと決意して、3年半前に自営業を始めた。それなりの時間が経ってしまったなあと、ぼんやりと考える。当初想い描いていたような仕事が今できているだろうか?いやいや、と首を横に振らざるを得ない。その理由は、自分の努力不足、行動不足、考えの浅さにある。ただ、実践するにはそれ相応のエネルギーが必要であって、エネルギーを注力できる環境に必ずしも身を置けていない今の状況にも、きちんと目を向けなければいけない。

 

平日昼間は派遣職員として大学で事務仕事をしている。それはそれでいい。強がって経済的な事情を隠すつもりはない。自営業に注力するためにはこの勤務仕事も必要不可欠だ。ただ、ほとんど重大な責任を負わないような立場の業務である以上、そのことを理由に、自分が主導権をもって進める自営業ができないと弱音を吐くことは許されない。自営業に注力すべき時間が、ないなんてことはない。体力がないなんてぼやく年齢でもまだない。

 

前職の代表から声をかけてもらい、躊躇しつつも決断し、自営業のひとつとして前職の業務の一部を手伝うようになった。もうすぐ2年経つ。「『2足の草鞋』ならぬ『3足の草鞋』ですね」なんて当初は他人に自慢するように言っていたけれど、そのような働き方が定着してからは、その境遇にありがたさを感じつつも、必ずしも快適な働き方ではないなということにも気づいた。例えば仕事1をしているときには仕事2のことは考えられない。ただ、仕事2をしているときにふと仕事3の憂鬱が頭に浮かぶことがある。そうすると、それが原因で仕事2のパフォーマンスが落ちているようで不安になる。そんなことが続けば、何か一つの仕事に注力できる大人の方が、結果として立派な仕事人になれるんじゃないかと感じてしまうのも当然だ。

 

ああ、これが自分の求めていた最高に快適な働き方だ。そうやって満足しながら仕事をしている人がいったいどれくらいいるだろう。自分はそのような境地には行けそうにない。ただそれは、想い描く目標が高すぎるからではない。「こういう働き方をしたい」という確固たるイメージを持っていないからでもない。どんな働き方にも良い面と悪い面が必ずあって、自分にぴったりはまるななんてことはありえないだろう、という諦念が体にしみついているから、というのが本心に一番近い。

 

良い面に浮かれながら生活し続けることはできず、必ず悪い場面にも直面する。悪い出来事がやってくるという若干の恐怖を、避けられないものとして受け止める勇気。それが、今の自分に必要であり、かつ不足しているものなのではないかと感じている。