このところ、移動中の電車内で座席にほとんど座らなくなった。その理由を、あとで自分で読み返しても鼻につきそうな文章になりそうで怖いのだけれど、素直な気持ちを言葉に表現することも必要であろうと思い、書くことを試みる。
電車で座らなくなったのは、満員電車に乗ることが多く、座れることが期待できない場合がほとんどであることが大きな理由だ。どうしても座りたいほど疲れているわけでもないし、そんなに長時間乗ることもない。何の問題もない。ただそれだけでは、例えば7人掛けシートで飛び飛びで3席分くらい空いているような場合でも座りたいと思わなくなったことの説明ができない。
自分の声に耳を傾けてこの原因を探ると、「『席を譲ろうとする行為』に対する気怠さ」という言葉が思い浮かぶ。モヤモヤと思うことはあるものの、たぶんこの一言に尽きるのだろう。
自分が座った後で混雑してきたら、「席を譲らなければ」と思うような状況になる可能性が出てくる。高齢の方や妊婦さん、見るからに疲れていそうなサラリーマンなどが目の前に立った場合だ。その時に、考えるよりも早く体が動き、当然のように席を立ち、躊躇なく譲れればもちろん問題はない。普通はそうするだろう。しかし私はどうしても、「親切な人を演じやがって」という自分の声に苛まれ、他の乗客の視線が気になり、「座っている以上楽していられるのに立たなければ」という落胆が少なからず生じ、「あ、けっこうですよ。すぐ降りますから」なんて逆に気遣われて断られでもしたら恥ずかしいな、という恐怖に襲われることになる。それらのことが自分にとって、ほんのわずかでも「不快」である以上、そうした出来事に遭遇せずに済む方が良い。そしてその不快から逃げる唯一の方法が、席を譲るという状況をつくらない、つまりは「そもそも座らない」ことであると気づいた。割と最近のことだ。
もちろん、例外はある。乗客がほとんどいないガラガラの車内に入り、たまたま座っている人の前に立とうものなら、逆に不審がられ、うっとうしいと思われるだろう。そういう時は、ありがたく座らせていただく。座るか座らないかの明確な境界線なんてものはないけれど、目安としては、(1)自分の降りる駅が5駅以上先であり、(2)目の前の座席が連続して3席分以上空いていて(自分が座っても両隣は必ず空いている状態で)、かつ(3)自分が座っても満席にならない(自分が座ることによって座れずに立つという人がいない)状態が数駅分続くと見込まれる、この三つの条件が揃ったら、まあわざわざ立ち続ける必要もないので、座る。ただ、こうして座った後に混雑してきたら、目安としては、自分の両隣に乗客が座り、次の駅で乗ってくる乗客で自分が座る7人掛けシートと正面の7人掛けシートの両方が満席になり、立たなければならない人が出てきそうであれば、自分が降りる前であっても席を立つ。誰に強要されているわけでもないけれど、最近はそうしようと決めている。「あの、どうぞ」と席を譲る前の逡巡がもたらす不快に出会わずに済むように。
とにかく、座りたいと思っているであろう大勢の人を差し置いて自分が座るのが嫌なのだ。それだけのことである。自分はそんなに疲れてない。もちろん体調が悪くて座りたくて仕方ないと思う日もあるだろうけれど、有難いことに、そんな日は少ない。むしろ、腰を痛めて、座ったが最後、立つ時の激痛が怖くて座るより立ち続けている方が楽、なんてことの方が自分の場合、多そうだ。
こんなことを考えながら電車に乗っている人なんて、たぶん自分だけなのだろうと思う。