身体の感覚に従う

今週はジョギングができなかった。昨日は暑さに負けて。そして今日はイベントで出かけて帰ってきたら夜だったので。どちらも、好きでやっているジョギングをやらない理由にはならない。けれど、走ろう、と腰をあげることができなかったのは、結局「まぁ1週間くらいならいいや」と思ったからだ。趣味程度で走っているんだから、気晴らしになるくらがちょうど良い。そう思っている。

 

それがなぜ気持ち良いのか、頭で考えて言葉で説明することは難しいのだけれど、とにかく身体が「気持ち良い」と声をあげている、ということはたくさんあって、そういうとき頭よりも身体の方がたいてい正直である。身体がそう感じているのは事実なのだから、つべこべ考えずにその感覚に従うのがよろしい。内田樹の本を読んでそのような考え方に触れ、身体が発する信号のようなものに、素直に耳を傾けて聞くようになった。人間の意識にはたかだか数十年程度の記憶しかしないけれど、身体には数十億年の記憶がある、といったのは養老孟司さんだそう。その視点はなかった。身体って、すごいんだな。

 

毎日走ることを習慣にしているわけでもなければ、長距離を走る持久力を持ち合わせているわけでもない。運動をしなくなってだいぶ経つし、体型が気になり始めてからずいぶん経つけれど全然スリムにならない。それでもジョギングは好きだし、ジョギングが趣味だと思っている。理由はよく分からないけれど、ただ走っているときに身体が快感の声をあげていて、それを身体が覚えている。その快感の記憶に従ってればいいのだ、と思った。