走る、を続けること

また毎日ジョギングをしようと決意した。これまで、やろうと決めて、数日は続くのだけれど、長続きせず断念、ということを繰り返していた。だから少しづつであっても、必ず毎日、走るようにする。そう決めた。そして今朝、ほんのちょっとの距離だけれど、走った。6月4日。中途半端だけれど、ここからスタート。

 

きっかけは、内田樹「街場の芸術論」で村上春樹について語っているのを読んだことだ。村上春樹は書くという行為のことを「鉱脈を掘る」という比喩で表している。毎日決まった時間に机にはりつく。アイデアが浮かばない時であっても、必ず席に着く。小説を書くという行為は、「鑿を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていく」ことだという。身体を酷使して、毎日こつこつと前進し続ける。そうやって鉱脈にたどり着くための努力が、小説を書くことにつながる、と言っている。

 

これは私がブログを毎日書くことについても当てはまるし、だから走ることにも当てはまると思った。乗り気でない時も当然ある。いくらでもある。けれど、どんなに木が進まなくても、必ず家を出る。そして走る。走り切れないと思ったら歩いたって良いけれど、「今日はいいや、雨降ってるし」なんて言って家から出ない、ということだけはしない。そうやって決めてしまえば、鉱脈を掘る村上春樹のように、堅実に前に薦めるような気がした。その力を、村上春樹の言葉からもらえたような気がした。