一生懸命生きることを「危うくするところだった」にしないために

このところ本屋に行くとたいてい平積みされている。どの本屋さんに行っても、だ。きっといま、社会がこういった考え方を必要としているのだと思う。であるからこそ、ちょっと自分はあまのじゃくに、そういう言葉に感化されるようだからいつまでたっても燻ったままなんだよと、この本から遠ざかっていた。しかし今日、吉祥寺での仕事の帰りに立ち寄った本屋で見て、こうもモヤモヤやイライラに支配されつつある毎日を、多少なりとも緩く、楽に暮らせるヒントがあるのではないかと思い、手に取った。

 

ざっと読んで、内容がじんわりと心に、記憶に染み渡る感覚が得られなかったのは、きっと言葉の数々が、「一生懸命仕事をしていくことができなかった自分」を無理やり正当化しているように聞こえてなんだかモヤモヤしたからだと思う。心の中で、「自分は違うんだ。自分は一生懸命やることでやりがいを見出すことができるはずなんだ」という自負みたいなものを感じているのかもしれない。オレはこの著者とは違う、と。でも、実はそれが単なる強がりだということにも気づいている。自分の仕事を振り返ると、そうだよな、なんだかがむしゃらになるのがばかばかしく思う時だってあるし、どうだっていいと開き直る時だってある。自分が一生懸命努力しなくたって、解決するようなことはいくらでもある、と。自分がやらなければ誰もできない代替性のない仕事なんて、そうないよなぁ、と。一生懸命やることだけが大事なことじゃない。

 

そうそうもっと気楽に、と自分をなぐさめていることに気づくのが本当は怖い。でも、言いたいことはよく分かる。つらいことはしたくない。もっと、自分らしい、と言ったら抽象的な表現で何をもって「自分らしい」のかと説明するのが難しいけれど、身の丈にあった、身体が自然に動くような働き方、生き方ができないだろうか、とは思う。

 

一生懸命生きること自体はかっこいいと思うし、否定はしない。一生懸命生きる暮らしを「危うくやってしまうところだった」という表現で遠ざけるべきだとは、あまり思わない。それより、「ここぞというときは一生懸命」と、「頑張ることだけにこだわらず全身の力を抜いて生きる」をちゃんと両立させるバランス感覚を、どうにかして身に着けることができないかと考えることが、いまの自分には必要なのだと思う。

 

失敗してもいい。失敗したときは後悔すればいいだけだ。

 

失敗を恐れずに、”孤独の失敗家”になろう。

 

「本当にやりたい仕事」とは「恋愛」に似ているということだ。

「今から真の愛を探すぞ」と探しに出ても真の愛は見つからないように、本当にやりたい仕事も探して見つかるものではない。

本当にやりたい仕事は”探す”のではなく”訪れる”ものなのだ。

 

人生を100とするなら、目に見える幸せな瞬間はどのくらいだろうか?

楽しくてワクワクして、ドキドキして・・・。そんな瞬間を集めたら、良くて20くらい?残りの80はといえば、おおむねいつもと同じで、つまらなくて、何もない地味なものだろう。

そう、人生の大半はつまらない。

だから、もしかすると満足できる生き方とは、人生の大部分を占めるこんな普通のつまらない瞬間を幸せに過ごすことにあるのではないか?

  

あやうく一生懸命生きるところだった

あやうく一生懸命生きるところだった

  • 作者:ハ・ワン
  • 発売日: 2020/01/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)