逆ソクラテスとPK

自宅では、SNSサーフィンというデジタルと、本を読むというアナログを、なんとなく自分でバランスをとりながら行っている。

 

SNSサーフィンは、いま自宅でまだインターネット回線の引き込みができておらず、スマホの4Gに頼っている。先日の引越し完了後、月末は通信制限に悩まされていたので、いまはまだよいものの、節制しながら使っている。

 

空いた時間は本を読んでいることが割と多い。「読書」というとかっこつけたイメージがあって、ちょっと違う気がする。ただ本を読んでいるだけ。読書=本を読むことだろう、と言われればその通りなのだけれど、自分の頭の中では「本を読むこと」と「読書」との間には少し溝がある。読書は、読んだ内容が自分の中にしみわたって、未来の自分の血肉になる、投資のようなもの。でも、そんなに意気込んでいるわけでは決してなくて、ただぼんやり本の中の世界を、表現はきれいではないけれど、舐めまわしているような、そんな感じだ。

 

伊坂幸太郎の新刊「逆ソクラテス」を買った。単行本の装丁がすごくきれい。表紙の絵に心を持っていかれ、持ち帰ってじっくり見ていた。junaida氏の絵だと気づいたのは、しばらくたってからだった。どおりでどこかで見たことあるような、懐かしい印象の絵だと思ったわけだ。

 

まだ読み始めていないし、どんな内容なのかさっぱり分からない。広告の文章を読んでもどんなストーリーなのかつかめない。そのドキドキ感が、たまらない。

 

一緒に買ったのが、文庫版の「PK」。昔、新刊で出た時に単行本を買って読んだのだけれど、すごく面白かった半面、後半の難解さ、スケールの大きさに気おされた記憶がある。数年前、蔵書を整理したタイミングで手放してしまい、それからしばらくたっていたのだけれど、文庫版を見つけて久しぶりに思い出し、ストーリーは忘れたものの面白かった記憶だけは残っていたので、もう一度読もうと手に取った。大事なPK(ペナルティキック)に臨むサッカー選手。子供に「悪さをすると次郎君みたいになっちゃうぞ」と脅す作家の父親。逆境に挑む大臣。落下する子供を救う新人議員。それぞれのストーリーが並列で続く。スリリングなストーリー展開で、自宅時間を過ごすのにちょうどよい。

 

未来のことは決まっているわけではない。いまの自分たちの感情の積み重ねが、未来が明るいか暗いかを決める。ひとりひとりの小さな行動がドミノのように倒れていき、その結果として未来がある。そういう考えに触れて、いまの自分の感情を少しでも良い方向へコントロールしさえすれば、そしてその考えが伝播すれば、こういう状況でも、未来は明るくなるんじゃないかと思った。

 

「臆病は伝染する。そして、勇気も伝染する」自分も、他人から感じた勇気を自分の勇気に変えて、次へとパスできるような、そんな人間でありたい。間一髪で子供を救ったヒーローを見ていた少年が、将来、勇気を試される場面で彼に触発され、力を発揮するのと同じように。

 

ふと、部屋に並べていた本を眺めていたら、「PK」の文庫本が目に入った。あれ、確かいまかばんにいれたままのはずだけれど・・・パラパラとページをめくると、見覚えのない栞。やられた。すでに手元にあることに気づかずに2冊目を買ってしまったのだ。買ったのはいつだ?数か月前?いや、もしかしたら1年以上前かもしれない。そのときもきっと本屋で文庫本を見つけて「ストーリー忘れちゃったし、久しぶりに読み返そう」なんて思っちゃったんだろう。ストーリーだけでなく、読み返すために買ったことまで忘れるとは・・・。

 

同じ表紙の2冊の文庫本を眺めながら、「まぁ、そんなことも、あるある」と無理やり自分に言い聞かせる。いやいや、ないない。と心の中の自分が言う。

 

逆ソクラテス

逆ソクラテス

 

  

PK (講談社文庫)

PK (講談社文庫)