当事者のその先に想いを巡らせるやさしさ

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この週末はなるべく家で過ごそう、ひとまず事務所に行かなければ進まないような仕事はなさそうだし(もしかしたらあるのか・・・?やるべき業務が山積していることは確かです)、と思いながら今日を過ごしている。外は、暖かかった冬に来なかった分遅れてやってきたかのような雪。ひんやりとした空気が、まぁこういうときだし、家にいなさいよ、と言っているように感じる。雪よ。この際どんな魔法を使っても構わないから、蔓延しているらしいウイルスをやっつけてくれないだろうか。その真っ白な姿からは清潔感を感じるから、悪者を洗浄してくれるんじゃないか。冷たい雪のその低温で、悪者を凍らせて死滅させることができるんじゃないか(北海道でも蔓延しているんだから、それはないのか・・・)。

 

 

昨日は、振り込みや買い物など用があったので近所を歩いた。そして結局、いつものカフェに寄ってしまった。一駅分だったし、電車は使わなかった。こういうときでも、いつもどおりを提供する、という彼女の信念を感じた気がした。

 

夕方からイベントを予定していて、朝までは、換気をしたり、客と客との間隔をあけたり、というように配慮したうえで、それでも楽しい時間を提供できてたらという想いでいたようだ。けれど、朝、店をオープンさせたときに外を歩く人から向けられた「えっ、こんなときに、やるの?」という視線にびくっとし、ただごとではないと感じたという。なんかこう、言葉では言い表せないようなピリピリした空気を察知し、そうか、イベントに参加する当事者は「いいよいいよ、注意するから。やろうよ」と言ったとしても、例えばそのまわりの家族が心配するといったことがあるのかもしれない。そう考えたら・・・ということで、朝、中止を決めたのだそうだ。

 

行き過ぎた「不謹慎だ」「自粛しなさいよ」には疑問もあるけれど、そうもいっていられないくらいの非常事態だということは、ここ数日の政府からの発表を聞いて分かる。自分も、イベントを予定通りやりますというSNSを見たときは、一瞬「やるんだ」と驚いたというのが正直な気持ちだ。でも、配慮はしていることを知って、楽しめることをちゃんとやりましょう、という気概も感じたし、だから応援しようとも思った。そこへきての、ギリギリでの中止を決断。彼女のその言葉から、これまで経験したことがないことがいま身のまわりで起きているということと、本当のやさしさってそういうことなのかもしれないということを、感じた。

 

いまは、「予定通りイベントを決行しようとする人に対して『なにしてんだ!こんなときに』と責める意見」と、「身の安全を第一に考えて自粛しましょうという流れに対して『そこまでする必要はない、周囲に流されているだけで思考停止だ、経済がまわらないことによる損害をどうしてくれるんだ』と主張する意見」とがぶつかり合ってケンカしている状況なんじゃないかと思う。ときには汚い言葉で罵り合って、お互いギスギスして、そのケンカに参加しているつもりはなくても、いつの間にか心が疲弊している。そういうときに、疲れた心を救ってくれるヒントは、彼女の決断を後押しした「当事者のその先の人に想いを巡らせる」やさしさにあるんじゃないかと思った。