自分の言葉の一歩先を読むこと

「自分の行動の一手先や二手先を想像したほうがいいです」風俗嬢に恋をしたというお悩み相談にびしっと応える著者は、なんと自分と同い年。そんな彼の言葉を読みながら、自分の未熟さ、自分の考えの浅さを知る。それを言ったことで相手はどんなことを思うだろうか。もしかしたら自分が思い描いているようなことと違うとらえ方をするのではないか。そうやって、自分が言葉を発するその一歩先を具体的に想像できるかどうかが、大人であるかどうかとイコールなんじゃないかと、最近は思うようになった。

 

それは、言葉を発した後で後悔することがこのところ多いからだ。なんとなく頭に思い浮かんだ言葉を口にしたくて、その言葉の本当の意味がどうであるか、その言葉がいまの状況に適したものか、を吟味することを怠る。そうして口から出た言葉は、たいてい相手を不快にさせ、誤解させる。だから自分の場合、もうちょっと言葉の重みを考えた方がいい。・・・とは言いつつ、最適な言葉はなにかとあれこれと考えることが結果として沈黙につながり、「分からないんだったら『分からない』と言えばいいのに」と相手を別の意味で不快にさせることもあるから、ことはそう簡単ではない。

 

自分の場合、例えば本で読んで知った語彙とか、言葉の言い回しとかそういうことを、日常生活の中でふと「いまこれを使うときなんじゃないか」と思い浮かんだときに、それを言葉にしなければ気が済まなくなる。それを言葉にすることで、「あ、こいつ、言葉知っているな」と思われたい。そんなちょっとの背伸びした気持ちが、その言葉が本当にふさわしいかを検討する力を、なくしてしまう。もっと丁寧に、冷静に、言葉を「選んで」口にすることを習慣にしなければ。

 

「闘病」という言葉は好きじゃない。闘いととらえると、勝つか負けるかの二択になってしまう。死ぬこと=負け、になってしまう。家族から「負けるな」と言われると銃を構えた敵兵に竹ヤリで突撃させられるような気持になる・・・。彼の言葉を聞くと、病を背負う人に対する安易な態度が逆に相手を苦しめることにもなりかねないのだと分かる。自分の視点と相手の視点は違って当然。自分が良かれと思ってした言動が、相手の視点からすると苦行である、なんてこともある。そういうことに気づかずにこれまで来たのだとすると、それは恐ろしいことだなぁと思う。

 

なんで僕に聞くんだろう。

なんで僕に聞くんだろう。

  • 作者:幡野 広志
  • 発売日: 2020/02/06
  • メディア: 単行本