Title

荻窪にある本屋「Title」の店主、辻山良雄さんの連載記事を読んだ。「Title」という本屋さんの存在は、人から聞いたのか、本屋特集の雑誌で見たのか、定かではないけれど、知ってはいた。けれど、まだお店には行ったことがない。

 

https://www.gentosha.jp/article/15053/

 

状況が状況なだけに、不安になり、報道に惑わされ、驚かされ、怖い思いをさせられる。そんななかで、トイレットペーパーが消えたドラッグストアの店頭で、憤慨するよりも無力感に襲われたというのを読んで、本屋さんが本屋さんとして担う役割はこういうことなんじゃないか、という自分の想いが、明確に言葉に現わされたのを感じた。

 

自分はこうした行為に抗うために、本を売っているのではなかったか。一人一人が考えて行動するためには、その人に戻るための本が必要である。 

 

街の本屋さんは、こうした途方もない夢を持ち、信念を持ち、本を売っている。一方、その本屋を訪れる自分も、そこに並ぶ本を眺めて、その本屋ならではの唯一無二な選書を味わい、これからの自分を形成してくれる一冊と目が合う瞬間が来るのを期待しながら本を眺める。「これだ」という一冊と目が合った瞬間が何ともいえない快感である。その快感を得たいという欲望だけが、本屋へ足を運ぶ動機だと言ってもいいのかもしれない。きっとこの荻窪の小さい本屋さんでも、そんな快感を与えてくれる一冊が待っているに違いない。

 

 

日曜日。午前中管理組合の総会に出席した後、事務所近くの本屋に立ち寄ったら、これまで自分のアンテナに引っかからなかったこの本と目が合い、迷わず手に取った。一人一人が考えて行動する世の中になるために本を売る、そんな自分にとって壮大なことを考える彼自身はどうやって考えているのか、知りたかった。

 

好きな本を店先に並べ、買ってもらいたいという気持ちは、この商売をする上でのなくてはならない〈もと〉である。そして個人店では、そうした気持ちがストレートに表れているほうが、来る人の共感を得やすい。多くの人が個人店に求めているのは、本を利用したビジネスではなく、本そのものに対するパッションだからだ。

 

そうか、自分は本屋に行くことで、その本屋が発するパッションを受け止めたいんだ。もともと買いたい本があるのなら、行かなくたってネットショップで気軽に買える。それでもお店に足を運びたいと思うのは、そこへ行ったらそこにしかなさそうな本があると思うからだ。そこでしか嗅げない匂いみたいなものがあって、そこでしか感じられない手触りがあって、店主との雑談だって、イベントという体験だってあるからだ。そういう自分にとっての特別な本屋がいくつかあれば、自分のことを考えることのできる自分になれる。多少道に迷うことがあっても必ず自分を取り戻せる自分になれる。そう思った。

 

本屋、はじめました 増補版 (ちくま文庫)

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