心の余白

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各地でいろいろなイベントが中止になっていたりして、「集まって楽しもう」というムードでなくなってきている。感染のリスクがある以上、それを防ぐためにはやむを得ない、という運営者の苦渋の判断なのであろうから、それ自体を非難はできない。イベントを楽しみにしていた側は、残念だけれど、被害が拡大しないための措置と受け止めて、じっとしているしかない。自分は4月に控えている大事なライブが中止になってしまわないか正直のところ気が気でないけれど、もし1か月経っても事態が収束せず、もっと安静が必要な状況だったら、仮に彼らが中止の判断をしたとしても、責めるつもりはない。演ってくれるのなら、きちんと対策したうえで、行く。行って、楽しみたい。

 

昨日はあっちの情報、今日はあっちの情報、というように情報に振り回されて、皆が前へならえで同じ行動をする、というのに触れると、なんだか居心地が悪くなる。トイレットペーパーが店頭から消えているなんて話を知人から聞いて、そんな誤情報に振り回される人がそんなにいるのか、と他人事のように思っていたけれど、今日いつも買い物しているスーパーに行ったら本当にトイレットペーパーがなくてびっくりした。よく買うお手頃価格の乾麺もなかった。2011年3月11日夕方の、あの日あの時のコンビニか、ここは(※)?

 

身のまわりの経済が目に見えて足踏みしている様子を見ると、そうなってしまう理由も分かる反面、いや、もっと元気に、こういうときでも供給者が安心できるように消費を続けられないものかとも思う。手作り作家さんが集まるイベントが中止されるということは、手作り作家さんが作品を見てもらう機会が奪われるということだ。誰のせいでもないこの結果を、作家さんはどう受け止めたらいい?

 

数日前までの自分は正直、中止しなかったイベントに対して「安全を考えて中止した方がよかったんじゃないのか?」と思っていた。けれど運営者の方に視点を変えると、作家さんのために開催に踏み切った、という勇気ある決断だったのかもしれないと気づける。受け取る側の視点だけでは気づけないことがある、ということに気づいた。

 

そんなムードではあったけれど、今日も(リスクが高いとされている)電車に乗って遊びに行って、素敵な作家さんの作品を、買った。こういうものを楽しむ余裕が、いままでの自分にはなかったのかもしれない。ただなんとなく、部屋にいるのを眺めて、かわいらしいなぁ、とぼんやり考える時間が、さらに自分の心に余白をもたらしてくれるんじゃないかと期待している。そして、こういうときでも身のまわりの経済を動かす一人でありたいと思っている。

 

※ 

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