雑貨化する社会

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「世界がじわじわと雑貨化している気がする」という一文を見て、頭の中にぼんやりと描かれていたイメージが言語化されていることに気づいた。あらゆるものが「その他」に類する「雑」のもの。これまで「雑」でなかったものも「雑」になりつつある(「雑」だと捉えることもできる)。

 

多様な価値があふれていて、そのなかから自分に適したものを自由に取捨選択できるという点では、こんな豊かな社会はないと言えるのだろうけれど、逆に選択肢が多すぎるというのは、供給する側からすると選ばれない可能性が高いことにほかならず、健全ではない。これまで雑貨の購入者であった者が作り手の方にまわり、需要が供給を大きく下回る。結果、雑貨屋の薄利に拍車がかかる。そういう循環があるのだとすると、作り手はたくさんいるにもかかわらず、それを紹介する立場がビジネスとして成り立たなくなり、良い作品も世に出なくなってしまう。本当に、シビアな世界だと思う。

 

だからこそ、雑貨屋で生計を立てている身近な人を、心から尊敬する。消費者側の視点ではぜったいに見えない景色があるんだろうなぁと思う。どんなに選択肢が増えても、ひとつひとつの単価が低くて利潤が微々たるものであっても、きちんと成立する商いであり続けてほしいと思う。

 

そのために自分にできることは・・・良いと思ったモノに対して、「私はこれが好きです」という意思を表明すること。そしてそれを自身の生活になじませること。それだけなんだと思う。

 

すべての雑貨

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