私は認知されたい

「他人に認知されたくないんです」そういった意見を本で読んで、そういう考え方もあるのかと驚いたことがある。例えば何回か行くお店で店員さんに、「いつもありがとね」と言われると、自分という個を認識されているようで急に恥ずかしくなり、そのお店への足が遠のく、というもの。説明されれば分からなくはないかなぁ、とも思うけれど、でも少なくとも自分にはない感覚だった。

  

自分はというとまったく逆で、「いつもありがとうございます」なんて客を酔わす魔法の一言だと本気で思っている。 自分が前来たことを覚えてくれている。たくさんいる客のうちの一人だったら記憶に残らないだろうけれど、覚えているということは、自分がたくさんいる大勢の客から個人として認められた客になれたような気がして、嬉しくなる。要は、好きなお店であればあるほど、そのお店の人とも知り合いになりたいのだ。

 

 

吉祥寺に行ったときはなるべく立ち寄ろうと決めている本屋がある。本のセレクトが良くて、小さな店内でいつも長居してしまう。そして今日、その店主が自分を個として認識しているのだということを他経由で知り、嬉しくなった。日曜日、事務所へ行って進めようと思っていた仕事もはかどらず、悶々としていたのだが、明日からまた頑張れる!と思えたのだから、なんて自分は単純なのだろう。

 

 

「そして、どうか「いつもありがとうございます」だけはやめていただきたい。いや、やめてくださいお願いします後生ですから。

そう言われた途端、もうそこには行き辛くなってしまう。」

 

この本の中で著者ははっきりと言う。少数派かもしれないとはいえ(もしかしてそれが大半の意見なのか?)、こういう意見もあるのだとすると、逆にサービスを提供する側の自分も、むやみに「私はあなたのことを覚えていますよ」と言ってはいけないのかもしれない。気をつけなければ。

 

探してるものはそう遠くはないのかもしれない

探してるものはそう遠くはないのかもしれない