月の本棚

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吉祥寺に来た時には、なるべく立ち寄ろうと決めている小さな本屋がある。以前instagramの記事で表紙の美しい本を見つけ、興味を持った。前回立ち寄った際は売り切れていたその本を、新しく入荷したと知り、先日買いに行った。本棚に置かれたその本の表紙に書かれた満月が、ひと際輝いて見えた。「気になっていた本がようやく手に入りました」店主との会話も弾んだ。

 

「月の本棚」きれいなタイトルときれいな表紙の本。ブレッドジャーナリストなる著者がウェブサイトに投稿した書評記事をまとめたものだという。楽天ブックスにもブクログにも出てこない。この本はいったい何者だ?

 

lepetitmec.com

 

 

lepetitmec.com

 

加筆修正されているとはいえ、そのウェブサイトを見れば、この本の内容はだいたい読むことができる。じゃぁ買う必要はなかったのか?いや、そんなことはない。表紙の美しさに惹かれたこの本を、紙でできたモノとしてのこの本を、手に持っていることが重要なんだと思う。自分にとって、本に書かれた文字情報を追うことよりも、物体としての本を手に持つこと自体が重要なんだと、この本を手にして実感した。

 

「京都の平熱」が特に印象的。「この世界の外に通ずる孔(あな)があちこちに開いている」という街。日常の世界からふと異世界に迷い込むような入り口。著者は「通りの名がわからず自分の位置を見失い、途方に暮れていると、誰もいない軒先で風鈴がチリンと鳴る、そんなとき。帰宅した人が開けた格子戸のその先に、緑滴る坪庭が見えた、その瞬間。わたしはそこに孔をみつける。」と言う。

 

 自分にとっての孔は何だろう。別の世界への入り口となりうる装置はどこにある?そんなことをまるで考えず、日常を何気なく過ごしていることに気づいてちょっと恥ずかしい。・・・と、そこでふと、月こそが自分にとっての孔なのではないかと思った。

 

 

自分がいま一番大好きなロックバンドが、ローマ神話の月の女神を名前に冠しているといったことが、直接のきっかけだったのかもしれない。それでも、月という、人間にとって最も身近な天体に神秘を感じ、きれいだと思い、敬意をもつようになったのは、それだけが理由ではないと思う。夜空を見上げれば、美しい月を見ることができる。見ると、心なしか気持ちが安らぐ。これが太陽となるとそうもいかない。肉眼で見ようとしても黒目が焼けてしまう。

 

仕事でイライラすることもある。自分のあまりの頼りなさに、反吐がでそうになることもある。明日こそクライアントに怒られるんじゃないかとヒヤヒヤして胃が痛むこともある。けれど、ちょっと風が冷たい夜に、空を見上げたらそこに満月があって、眺めているだけで気持ちが安らぐんだから、月には何か特別な力があるんだと思う。ルナ。そこには女神がいて、人間を支えているのだろうか。

 

 

いまコーポラティブハウスの売却のお手伝いをしている。住まいに対する愛着を聞いている中で、売り主からこんな話をしてもらった。寝室で寝ている時に吹き抜けを見上げると、ペントハウスの小窓からちょうど満月が見えるときがあるのだという。「お月様」月に敬称をつけ、それを眺めている時間をかけがえのないものだと語る。これを聞いて、不動産物件情報として広告などではとうてい表現し得ない、しかしこの住宅に愛着をもって暮らしている人だからこそ気づき、快適に感じるポイントが確かにあるのだということを知った。ベッドに横になり、ふと小窓を見たら満月があった。なんて素敵なんだろう。