身体の声を聞く

久しぶりのジョギングによる筋肉痛が尾を引いて、思うように身体を動かすことができない。本来、走ることで身体の働きがよくなって、すがすがしい気持ちにもなって、集中力も増すはずなのに、逆をいってしまっては本末転倒。本当に、無理はよくない。少しづつでも、続けることが大事だとは思うのだけれど、ここで続けようとして身体を痛めつけては元も子もない。勇気を出して、続けないという選択をする。腰の痛みをなくしてから、ゆっくり再開させようと思う。

 

 

そんな身体の痛みを引きずりながら、先日10年ぶりに会った大学の仲間と食事。社会人になりたてでお互い右も左も分からなかった頃のように、近況を話しあう。あの頃と違うのは、お互いにそれなりに仕事をしてきて、いまの仕事へのやりがいを明確にもっていて、要はお互いに前を向いているということ。非建設的な愚痴はそこにはない。彼は、愚痴の一つもこぼしたくなるような状況とはきれいさっぱり別れていて、充実したいまを過ごしている。そして、勉強している。見習いなさいよと言わんばかりに自分を叱咤激励する友が、ここにもひとり、いた。

 

ここへきて自分のアンテナによく引っかかる言葉。「とにかく勉強」「熱中すること」「成功するためには、熟知すること」自分が無知であることをまず知ること。そして、その無知が恥ずかしいことであると感じること。そして無知のままにせず、知るための努力をサボらずにすること。大人になっても、社会人を何年やっていても、それが大事なんだなぁと思った。

 

そのためには、自分の身体の声をきちんと聞くことも大事。腰痛、筋肉痛を気にしていたら、自分に必要な情報も入ってこない。勉強しようと思っても、痛みに負けて「今日はもういいや」となってしまうかもしれない。もっと身体をいたわらなければ。