紙媒体の未来

運営サポートをしている管理組合の理事会に出席してきた。新聞社に勤めている方がいらっしゃって、理事会後の雑談で新聞業界の話になった。いま、どうなんですか?という問いに、「それはもう、衰退産業ですよ」なんとなくの肌感覚どおりの応えが返ってきた。「少なくとも自分が勤めている間はなくならないでしょうけど」その方は未来を見ていたけれど、そしていま現在新聞を購読していない自分にその状況を憂う資格はないけれど、果たしてそれで良いのだろうか?と思わずにはいられなかった。

 

この先10年20年の間に、紙媒体の新聞が完全になくなってスマホでの情報収集に入れ替わるのかと想像すると、それはないんじゃないかというのが自分の感覚だ。新聞に限らず本や雑誌にしても、紙媒体がなくなって、つまりは本屋が世界から消えて、すべて電子書籍になるということはないと思う。そういう世界にならないでほしいという願望がそう感じさせているのかもしれない。でも願望だけじゃない、やっぱり私は紙の本を読むのが好きで、電子書籍を読むのが苦手で、将来すべての情報収集ツールがタブレット画面になったら目が追いついていかない気がする。目が疲れて読書どころじゃない。「ロード中」という名の数秒のフリーズに耐えられない。

 

そして何よりも。世界から紙の本が消えたらどうなるか。一生に一度の覚悟を決めてつくった壁面本棚に集う本が、なくなってしまうではないか。「私はこういう本を読む人間です」「私はこういう本から知識を得たいと考えている人間です」ということを視覚であらわしてくれる本棚が、機能しなくなってしまうではないか。目の前に広がる本の列を眺めながら「自分はここに書いている情報を得ているんだ」と満腹気分を味わうのがちょっとした楽しみなのだが、その情報源がすべてタブレットに入っちゃったら・・・持ち運びという点では便利なんだろうけれど、どうも読んでも読んでも満腹にならない気がする。これは感覚の問題だが。

 

たぶん自分と同じような感覚で、紙の本でなければダメなんだ、という人は多いと思う。そういう価値観を覆すようなものが現れない限りは、紙の本はなくならないと思う。そしてなくならないように、少しづつでも、紙媒体を集めていきたい。そうすれば愛する本棚もずっと生きていける。