観察すること

事務所のある建物の共用通路にはたくさんの樹木や草花があって、毎日緑や土を感じながら出勤する。それはとても心地よく、清々しいのだけれど、それを意識して見ているかといえば、そうではなかった。そのことを他人に指摘され、気づいた。

 

玄関正面のセージが水やりが足りずに葉がしおれている、と言われ、そうだったっけ?としか思えず、さらに、ほら、これをみてどう思う?と聞かれても、まぁ言われてみれば元気ないなぁと思うけれど、パッと見てそれに気づくかと言われると、絶対に気づかないなぁというくらいにしか感じられなかった。普段の姿を見ていない証拠だ。

 

社会人になりたての頃、現場研修で監督をしていたときは、当時の主任に口すっぱく言われていた。歩きながら現場をよく観察せよ、と。ゴミが落ちていたら拾うとか、そういうことは当たり前。どの作業がどれくらい進んでいるか、歩きながら意識して観察するんだ、と。その忠告を、数年経つうちに忘れてしまっていたのかもしれない。

 

通勤途中とか、普段街を歩くときとか、そういうときは特に、まわりを意識して歩かない。朝は眠くてぼーっとしてることが恥ずかしながら多いし。そうでなくても考え事をしながらということが多い。毎日歩いている道の途中にある建物のことでも、人に聞かれて初めて、「あれ、どうだったっけ?」となり、普段まわりを全然見ていないことに気づかされる。

 

観察せよといったら大げさで、よく目を凝らして見なければならないと思いがちだけれど、そこまでする必要はない。ただ、見ているようで実はあまり目に入っていないことが多いのだということを知って、普段から周囲に気を配ることに意識を向けることが大切だ。そうしたら、身のまわりのちょっとした、ぼーっと歩いていたら気づかないような変化に気づけるようになって、毎日が少し面白く感じられるんじゃないか。