お手紙

夜風が気持ちよかったので、歩く。本八幡から妙典まで、一時間くらいかけて、ゆっくりと。いつもは電車を使うような距離でも、歩けば何か新しい発見があるかもしれない。そう期待しながら歩くも、発見したことといえば、海の方で何かイベントがあったらしきことと(花火があがっていたから)、家のすぐ近くの、いつか行こうと思いながら敷居が高くて躊躇していたイタリアンが違う店に変わっていたことくらいだ。

 

歩きながら、昨日、久しぶりに会った現場所長のことを、思い出す。仕事は完璧、何事も丁寧に、やるべきことをちゃんとやっていることに対して正当に評価してくれる、頼もしい所長だ。もっと、その所長の下について仕事ができたということを幸運だと思って、真似すべきことは真似すべきなんだ。改めてそう思った。

 

他の人がやっていないことで、所長がやっていることは何か。それは、平たく言うと「お手紙」を書くこと。といっても、昨日はありがとうございました、というお礼状でも、「元気ですか」という挨拶状でもない。職人へのお手紙、すなわち「指示書」だ。毎朝、朝礼前に、ここをこうしてね、という指示を書いた紙を職人に渡す。で、直接口でも言う。特別なことでもなんでもないけれど、それを必ず、忘れずに、する。そうすることで、「やるべきことをさせるのを忘れた」ということを防ぐ。そして、自分自身は、やるべきことをメモにぱぱっと書いて、机なり壁に貼る。そうすれば忘れないでしょ、と言う。

 

それをしなければ仕事ができない、とまでは言わないけれど、それをすることで一つ一つ確実に仕事が進む。それをしなくても仕事のできる要領の良い人はいるだろうけれど、それを丁寧にやっているのに仕事が遅い、という人にはいまだかつて出会ったたことがない。原始的で、おろそかにしがちなんだけど、仕事が遅いと言われることが多い私には、特に習慣にすべき立派な手法なんだ。

 

督促することが、大嫌いだ。仕事上しなけれなならない状況もあるけれど、できる限り避けて通りたいと思ってしまう。だったら、どうしたら良いか。督促しなければならない状況に陥る前に、きちんと「お手紙」を書いてお願いをしよう。自分なりの「お手紙」を、習慣にしよう。とにかく、これはイイねと思った手法は、真似すべきなんだ。「こんなこと、真似したって意味ないよ」と言うんだったら、そうする必要がなくなるくらいテキパキ仕事ができるようになってから言えって。そうする必要がなくなるくらいテキパキ仕事ができるまで、一心不乱に真似してみろって。