就活狂想曲

シューカツに関する記事とかを見て、そういえば自分もシューカツしたんだよな、と当時を思い出す。思い出すんだけれど・・・決して「あのときは頑張ったなぁ」という感じではなく、「なんとなく周りの流れに乗って、なんとなく終わっちゃった」といったほうが近い。

 


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いまになって当時を振り返ると、面接で何を言えば受けがいいかとか、説明会でどうすれば目立てるかとか、その後の社会人生活で必要とも思えないようなことに対してああだこうだ考えていたように思う。胸を張ってあのとき考えていたことがタメになったかといえば、なってないだろう。だいたい、社会人になって必要とされるであろう能力が、大学時代の一時期の頑張りで得られる気がしない。

 

「いまの就活生は数多くの企業に応募することなく、数社に落ちただけで落ち込んでしまう。行動力がないのではないか」みたいな記事を見たけれど、私は考えが逆だった。大学時代の私は、下手な鉄砲数打ちゃ当たるみたいな考え方で片っ端からエントリーしていた友達を見て、絶対にそうはすまいと思っていた。それは悪だと思っていた。就職してもいいと思えるような興味ある企業って、そんなに多いはずないだろうと。それよりも、どうしても入りたいところに入るにはどうしたらいいかを必死に考えよう、と思ってた気がする。結局、背伸びして行きたいと思ってたところは第一段階の適性検査みたいなので落ち、まるで人格を否定されたかのような屈辱を味わったけれど。

 

確かに、数社落ちたくらいで凹むくらいだったら内定もらうまでエントリーし続ければいい、というのは一定の価値のある言葉だとは思う。だけど、闇雲にエントリーして機械的に説明会や面接をこなしても、企業がほしがるような点をアピールできるとはとうてい思えない。的を絞って一発合格できるのはほんのひとにぎりの人だけ。銃を乱射しても一発一発の精度が落ちるだけで確率はあまりかわらない。だとしたら結局は、その中間が一番いいということか。

 

合同説明会にしてもなんにしても、自分と同じことをしている自分以外の就活生を大量に見てしまうと、それだけで嫌な気持ちになった。「うわっ、こんだけ人いたら、絶対自分埋もれてるだろ」って。そんな嫌な気分くらいしか記憶にないから、いまだに就活と聞いただけでちょっとテンションが下がる。だからそんな就活を元気よく、必死にこなしている今の学生に対しては、「行動力がない」というよりむしろ「嫌な顔一つせずこなして偉い」と思う。

 

3月も今日で終わり。明日から4月。今年ほど、明日への気持ちを新たにしない3月末日はない。だからこそ・・・目の前の仕事を真面目に、真剣に、誠実に、正直に、一心不乱に。それこそ大学時代に気づけたら、もっといいシューカツができたんじゃないかと思う。