染まらないこと

通勤に1時間ちかくかけていると、この時間の蓄積も無駄にはできないなぁと思う。昨年まではドアtoドアで30分くらいだったからそんなに苦ではなかったが(それでも接続の悪い武蔵野線京葉線には何度も苛立たされたけれど)、いまはその倍。かつ、避けて通れないのが地下鉄の乗り換えポイント。混雑不可避な茅場町。電車が止まってドアが開いてから、ドアをでるまでの10秒近く。この時間の混沌さ。そして乗り換えホームにつく5秒前にドアが閉まってしまう菊名行。「あなたがあと10秒早く着いていたら(あなたが時間調整による停車を10秒縮めてたら)スムーズに乗り換えられたんですよ、東西線」愚痴を言ってもどうしようもないが、とにかく苛立ちの原因は消えない。

 

「その時間に本を読むとか音楽を聴くとか、なんでもいいけどなにかを得る時間に当てれば、無駄にはならんだろう」一番手っ取り早いのは都内に引っ越すことだが、そう言い聞かせることで一番手っ取り早い方法を決断の選択肢から除外する。いや、ただ単にまだ「東京都在住」になることに違和感があるだけです。都に染まりたくない、という客観的な声が聞こえる気がして、べつにそれに従うべき確固たる根拠があるわけではないのだが、とにかく東京都民にはいまのところなりたくない。染まりきらない淡色のダサい千葉県民でいい。だからいまは1時間の通勤時間が無駄にならないよう、眠気と戦いながら、でも前職より1時間以上出社時間が遅くなったことに感謝しながら、情報を脳に注ぎ込む。

 

休日、千葉を支配する時間の流れは、平日の東京とはやはり違う気がして、快適に過ごせる。「さてどうやって過ごそうかな」そう考える時間そのものが楽しい。でもこの快適さが、もしかしたら平日の仕事の円滑な遂行を阻害する原因となっていないか。なにごとも染まりすぎはよくない。