ぼくの住まい論

ぼくの住まい論

ぼくの住まい論

 

最近知って注目している思想家で武道家の内田樹氏の本。自宅兼道場「凱風館」を建てるまでの道のりと、著者にとっての住まいについてを考える。

 

著者も言っているが、なんせ武道場と一体であるため、そこは個としての家というよりは、公共性の強いみんなに開かれた家。麻雀を通して知り合った若手建築家・光嶋裕介氏を設計者として選んだ経緯は微笑ましい。まだ実績のない若者にチャンスを、という考えを持っていらっしゃる著者のような施主が多ければ、世の建築設計事務所ももっと元気になると思う。

 

リビングに行くために必ず通らなければならない書斎。その間取りに著者ならではの書斎の考え方が読み取れる。落ち着けるプライベートな空間と緊張感漂う道場。本来対立しそうな空間が自然に共存する。そこに著者ならではの住まい論がありそう。

 

母校ではなく母港。人には帰るべき港のような場所が必要で、凱風館はその役割を果たしている。何か困難があった時に安心して身を寄せる場所がある、そういう人ほど身を寄せる場所を必要とするほどの困難に直面しないという。その言葉が面白い。それを裏付けているような事例も興味深い(注1)。ただ武道の稽古をする場所という枠にとらわれずに、そこが人間形成の拠点となっている。

 

私は中学高校と剣道をやっていたので、道場特有の張り詰めた空気を毎日のように味わった。つらい稽古が続くと道場に行かなければならないと思っただけで嫌になる。教室とも体育館とも外ともどことも違う、独特な空気が漂っている。夏場、サウナのように暑い時期は、その緊張の糸が切れて怠けてしまうときもあった。

 

もし当時、そこが「総合的な人間形成の拠点」だと考えることができたら、もう少し稽古に対する態度が変わっていたかもしれない。

 

 

(注1)

ある二人に不快感を与える物質を投与する。一方には普通に投与、もう一方には、投与すると同時に、押すと物質の投与がストップするスイッチを与える。スイッチを押すことで不快でなくなるという安心感からか、後者は結局スイッチを押さなかった。(前者が我慢しきれないほどの物質を投与したにもかかわらず)