TY-本八幡

5月26日。土曜日。



昨夜のアルコールがきいて、昼前まで起きられなかった。



さかのぼること、16時間前。



会社の上司と行きつけのラーメン店へ。



この度、会社を辞めることになり、しかし恥ずかしさからなかなか自分の口から言い出せなかったぼくのふがいなさで、他人からそのことを聞いて知った新人時代の現場所長&主任。



ペーペーの頃の、ホントに右も左もわからないガキだったぼくを救ってくれた救世主のような二人。この二人に鍛えられたおかげで、今の自分があると言っても言い過ぎではない。



現場研修時代の半年間で約90キロあった体重が20キロ減った、という笑い話をいまだにするところからもわかるように、当時のぼくがいかに二人にとって衝撃的なガキだったのだろう。



工事用リフトを極力使わず、14フロアー分の階段の昇り降りをひたすら繰り返していたエネルギーはいまはなさそう。



あ、いま思い出した。当時職人によく「安藤さんは偉いっすよね、いつも階段を一段とばしに昇り降りしてましたよね」て半分あきれられるように言われていたっけ。



久しぶりのラーメン屋。当時、みんなを驚かせた「ざるラーメン 5玉」



あれはただでさえ気力と体力を消耗する新人時代だったからできたこと。今回は3玉で十分でした。



そのあと「歌いたい」と酔っぱらいながら言う所長に連れられてアットホームなスナックへ。



現場研修時代の現場事務所のすぐ隣。身近だが、行ったことはもちろんなかった。



聞けばお母さん、もう30年くらいこの店をやってるんだとか。



まわりの支えもあるのだろうが、同じことを30年続ける、その続けることそのものにカッコよさがあることを身に染みて感じた。



一方で6年で会社を去るガキのその6年なんて、たいしたことないんだろうな。



次の仕事はずっと続けたいな。そう思わせてくれた。



店を出たのは、夜中。



目の前には、いまはまるで当たり前のように聳える本八幡駅前のマンション。



ちょうどそこから車を出して、真夜中の街に消えていった入居者を見ながら、多少なりとも彼の幸せの一助になれたのかな、と自分を少しだけホメてみる。



あなたの家の間仕切壁、ぼくが図面通りかチェックしたんですよ、と。



あなたの家の断熱材を削ろうとして、ぼくは配属早々ウレタンナイフで指を切ってスラブを血で染めたんですよ、と。



6年経っても色あせないその記憶が、ぼくを次の仕事に導く勇気をくれました。



所長と主任に感謝申し上げます。