大学時代から、この言葉をよく聞いていたような気がします。そもそも建築用語でもないような気もします。でも、講義の中で大げさにその言葉について定義づけまでして、いわゆる「建築デザイン」と区別していたところをみると、きっと幅広い建築学の中の一分野として確立されているのでしょう。
小山薫堂著「人を喜ばせるということ」(中公新書ラクレ)のなかで、著者が「企画」についておもしろいことを言っていました。
ちょっと長くなりますが以下抜粋
「企画とは突き詰めていくと『サービス』だと思うんです。どれだけ人を愉快にしてあげられるか、気分よくしてあげられるか、それが究極のサービスだからです。」
「ぼくが『企画とは何か?を一言で言え』と聞かれたら、『大切な人へのバースデープレゼントを考えること』だと思います。『あの人の好みは何だろう?』とか、『何をあげたら喜ぶだろう?』とか、『いつ渡したらいいだろう?』とか、『どうやって渡したら驚くだろう?』。そんなことを考えるのが企画です。」
「究極の企画というのは、『自分の人生をいかに楽しくするか』、『いかに自分が幸せな気分で生きることができるか』。それを乗り切る手段を企画と呼びたい。」
企画をそのように考えると、日常生活の中で企画をしていることって、実はけっこう多いんじゃないかということに気付くと思うんです。上記著書のなかでたくさん紹介されているサプライズにしてもそうだし、そこまで大げさに考えなくても、誕生日のおめでとうメッセージを相手に驚かれるように言うとか、彼女に喜んでもらえるようなデートコースを考えるとか、定期的に同窓会をやろうと決めて人を集めるとか。こういった目的を達成させるための方法を頭の中であれこれ考える過程すべてを企画というのであれば、それこそたいていのひとは企画をしているはずです。
ぼくは大学時代、いわゆる意匠設計の分野に自分が馴染まないことを自覚していたので、都市計画の研究室に入ってネチネチと卒業研究をしていました。みんなが目が覚めるような刺激的な図面を書いて「この建築のコンセプトはこうで、こういうメリットがある」なんてカッコいいことを考えながら製図室で新しい価値を創造しているなか、ぼくは今現在実際にある建物だとか街路だとか、そういったところを歩いて写真撮ったり、背伸びしてまちづくりNPOに潜り込んで難しい話を聞いてよけい頭こんがらがったり、それはそれは「新しい建築の創造」とはかけはなれたことをしていたように思います。だから、どちらかというと建築企画側の分野を学習していたと思うのですが、企画って言葉自体、別に建築学科でなくとも聞く言葉だし、大して深く考えるようなこともなかった。
放送作家である小山薫堂氏が、ぼくとはまったく違った視点で企画について定義づけていて、「なるほどな、やっぱり大学で仰々しく習うほど難しいことではなくて、だれでもやってることなんだ。その大義の『企画』のなかのひとつとして、建築を企画することとは、というのが、大学でやってたことなんだ」ということに気付いてからは、やたら身近な存在になった。ぼくも企画することたくさんあるし。
だからいまやってる仕事も、お客さんに快適な家を提供するという立場と考えると、お客さんに提供する快適な家を企画する仕事、と言えるかもしれません。大学時代に何気なく勉強していたことを、いまになって実現していたことにふと気付きました。
小さい子に「なにやってんの?」と聞かれて、「家を企画する仕事をしてるんだよ」と言えたらカッコいいなぁ。