1秒もムダに生きない 時間の上手な使い方 (光文社新書 525)
- 作者: 岩田健太郎
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2011/06/17
- メディア: 新書
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「1秒もムダに生きない 時間の上手な使い方」 岩田健太郎 光文社新書
時間を「捻出する方法」や、時間の上手な「費やし方」などに焦点をあてた指南書。
著者は医者。普段診療をしながら、大学で教えたり、論文を書いたり、作家活動をしたりしている。
多忙な毎日を送りながら、しかし芯の通った「時間の使い方についての自分なりの方法論」をお持ちで、それを紹介しています。
「はじめに」で堂々と書いているけれど、他の「時間術」などを説くビジネス書の口調が「○○せよ」とか「〜〜すればうまくいく」といった命令口調・断定口調であるのに対して、本書は、本書に書かれている内容を駆使したからといって誰もが成功するとは限らないと言っています。
その点は著者の言うとおり「他のビジネス書と一線を画す」と思いますし、ぼくも本書に書いてある内容をそのまま鵜呑みにするのではなくて、自分に合った方法を取捨選択しようと意識しながら読みました。
複数の仕事を抱える著者がテンパらない方法、それが、「やりたいことをやりたい順番にこなす」という一見当たり前な、すこし考えると「それじゃダメだろ」とツッコミを入れたくなるような言葉に集約されている気がします。
ある程度経験を積んでいくと、「重要なこと(やるべきこと)=やりたいこと」になるのだろう。
ぼくはまだその境地には達していないような気がするので、「じゃ、やりたいことからやろう」と息巻いたところでトンチンカンなことをしでかしてしまいそうなのであまり参考にしません。
「仕事ができるふりをしない」:背伸びして仕事ができるふりをしてしまうと、その場は実力以上の評価を得られても、その後実力以上の苦痛を伴う仕事が降りかかって自分の首を絞めるだけなので、むしろ「仕事ができないふりをする」のがいい。
→善悪で考えたら悪のようなきがするけど、「自分を実力以上に見せる必要がないんだ」と気が楽になるという点ではいいかもしれない。
「新聞・テレビにしがみつくことの危険性」:新聞やテレビの言ってることが正であるという一般論は間違っていて、これらは出来事のほんの一面しか捉えていない可能性がある。「最近の若者は新聞も読まない。だから自分の興味のある分野しか詳しくない知識の「オタク化」が進んでいる」という意見があるが、テレビや新聞の一面的な書き方を鵜呑みにして知ったようになっている大人に比べたら、むしろ新聞を読まない若者の方が毒にさらされない分、健全であるかもしれない。
→これほど新聞を読まないことを擁護するような意見を言うのは、著者と小飼弾氏くらいじゃないだろうか。わかんないけど。もっと新聞を読まないことに誇りを持っていいのかな?と少し安心してしまった僕は、やはり著者の考えを鵜呑みにしすぎだろうか・・・
「先んじて知らなくてもいい」:モノを知らないことで人から「そんなことも知らないの?」と思われることはあっても、笑われることはあっても、嫌われることはあまりない。素直に「知らない。教えて」という意識をもつことで、相手に「ソフトな優越感」を与えることができる。「知らないことは知ってる人に教えてもらえばいいんだ、という素直な気持ちになれば、速報性のある流行りものを他者に先んじて知っておくことにあくせくしたり、焦ったりする必要はなくなります。そうすれば、テレビや新聞に時間を費やさなくても、少しも困らなくなるのです」
→まさにソクラテスの「無知の知」。仕事中つい無知であることを馬鹿にされるのが怖くて知ったかぶりをしてしまうぼくへの処方箋のような文だ。
「小説を読む意味?」:そもそも小説は、なにか実利を得るために読むものではない。「副次的な」効用はあるにせよ、それを得ることを意識すべきではない。読んでいる時間を過ごすことそのものがいい。
→小説を読むモチベーションがあがった。
一冊を通して何が「上手な時間の使い方」なのか、という総括が難しいけれど、言っていること一つ一つは至極まっとうで、実践してみる価値はあると思う。