11月21日。日曜日。
電車の中でのひとこま。
ぼくが座ってた座席の隣の隣があいていて、そこに腰かけたのが、若いお兄ちゃん。
お兄ちゃん、腰かけるや、すぐにバッグからノートパソコンをとりだし、起動する。
よこめでチラッと覗き見ると、なにやらプレゼンテーションかなんかを見ていた。
のちに茅場町で降りたから、おそらくこれから仕事で使うのだろう。
それにしても、そのノートパソコンを開いていた時間というのが、彼が行徳か南行徳で乗って、茅場町で降りる間だから、せいぜい15分かそこらだろう。
その時間をプレゼンに向けての最終確認に使ったのか、定かではないが、彼の時間の有効な使い方には脱帽する。
ただ、彼がノートパソコンを開いた瞬間、最初にぼくが抱いた感情はそうではなかった。
まるで電車内でケータイでしゃべる傍若無人な若者と同じように映ったのだ。
最近のノートパソコンは小さいとはいえ、膝の上に乗っけて画面を開いたら、それなりに(少なくとも両脇の二人には)圧迫感を感じさせると思う。
キーボードをたたく音も、決して小さくはない。
ぼくは普段仕事場のデスクではパソコンを使ってるから、キーボードをたたく音に不快感は全く感じない。
が、それが電車内という(少なくとも休日の昼間、遊びに行くために電車に乗ってるぼくにとっては)プライベートな空間となると話は別だ。
「なにもこんなところでやんなくてもいいだろう」とそのとき思ってしまった。
顔を見てないから何とも言えないが、彼の隣(=ぼくの隣)に座ってた男性もきっと嫌悪感を抱いているんじゃないかと思った。
しかし、ふと考える。
そのときぼくが手にしていたのは、新書本。
ぼくは本を読んでいた。
「ノートパソコン」がダメで、「本」はオッケーな理由って何だ??
ぼくがもってた本は両手の平に収まるサイズで、少なくとも隣の男性に圧迫感は与えないだろう。
音読でもしない限り、迷惑をかけることはない。
でも、それを考慮してなおノートパソコンが絶対的に迷惑な理由ってなんだろうって考えた時に、本との違いはそうないのかな、とも思えた。
少なくとも彼はパソコンから音を発してたわけでも、必要以上に隣にはみ出していたわけでもないし。
結局、「新書本は手ぶらででかけてもズボンのポケットに入るサイズだし、便利でいいな」と自分を正当化しながら、ノートパソコンをケータイと同様に考えていた自分がもしかしたら時代遅れなのかもしれないと感じた。
そのうち本も電子化するわけだから、電車内では本を読む人より何らかの電子画面を見てる人の方が圧倒的に多くなるだろうし。
こないだ仕事帰り、自分が座ってた7人掛け座席と、自分の前の7人掛け座席に座ってた合計13〜14人のうち、ぼくをのぞく全員がケータイの画面を見ていたときは、さすがに吐き気を覚えた。
はい、オチなし。
今日は池袋のパルコで数年ぶりに新しい腕時計を買いました。
本当はボーナスが出るまで買うつもりはなかったんだけど、来週までの期間限定で10%オフ、といううたい文句に負けてしまった。
ボーナスだって、どれくらいでるかわかんないし。
買ったのは、orobiancoの「Rettang Ora」
最後の最後までどれにしようか迷ったけど、シンプルながらも光り輝くフェイスと、四角に少し丸みを帯びさせたデザインに惹かれた。
そろそろ新しい腕時計を買おうと思ってから、今日に至るまでの構想期間、それこそ半年以上。
今日、購入を心に決めてから、買い終わるまで、およそ15分。
なんだろ、このあっけなさ・・・
それにしても、日曜日とはいえ、新宿、池袋のこの人の多さ、なんなんだろう、と思ってしまう。
「これ、ホントはデフレじゃないだろう」なんて思ってしまう。
ここにいる人たちが全員なんらかのものを買って帰れば、絶対社会は潤うんじゃないかって思ってしまう。
デパートの化粧品売り場で試塗りしているオバチャンとかを見るたび、「絶対デフレじゃない」と思ってしまう・・・
そんな群衆の中で、腕時計一本買うのに超そわそわするぼくは、心が貧乏なのか?