神様俺は今人生のどのあたり

Easy Easy 転んだらそのままで胸を張れ

涙に滲んだ過去と未来 Oh baby 俺は今日もメシ喰って出かけるぜ

(エレファントカシマシ/Easy Go)

  

休日に事務仕事をする気力がでなくて結局無為な時間を過ごしてしまうなんて、

何回も経験しているんだから分かるだろうに。

それなのに「いいや、休日事務所来て片付けよう」なんて思ってしまうから不思議だ。

平日は、自分が休日にできることを過大評価してしまうらしい。

 

相変わらず自分の行動力のなさに眩暈がする毎日だけれど、

転んだ時にそのまま力を落として寝転がっているんじゃなくて、

胸を張ってピンと背筋を伸ばして寝そべろう。

いやむしろ身体を反らして。イメージは「伏臥上体そらし」か?

Easyではない。なにせ身体は人一倍硬い。

 

この歌を。

息継ぎポイントのあまりの少なさに口ずさむ気力さえ失うこの歌を。

ちゃんと息継ぎ少なく叫び通す肺活量を身につけたいという意気込みを与えてくれるこの歌を。

歌いながら、明日はちゃんとメシ喰って出かけよう。

 

 

なんとなく好き

いつものカフェでコーヒーを飲む。タンザニアの、苦くて舌に沁みこむような味に、中毒になりつつある。特に用事はなくとも、いや、特に何も用事がないからこそ、立ち寄って、ただのんびりと空虚な時間を費やすことで、休日を消費しているのかもしれない。土曜日の話。これが浪費でなけば良いのだけれど。

 

 

以前、手作り市で出会った消しゴムはんこの作家さんが個展をやっているということで、最終日、恵比寿に行ってきた。自分より少し年下。そんな彼女は社会人になってすぐに会社を辞めて、自分が本当にやりたいことを探してはんこをつくる作家になった。会社での仕事が続かなかったこと、そのことにコンプレックスを感じているのかどうか本当のことは分からないけれど、おそらくはネガティブな感情を次の自分の情熱へと変えて、ひとりで作品をつくり続けている。そのパワーを、個展でもらえた気がした。

 

オリジナルの蔵書票がかわいらしい。蔵書票を知っている人がそもそも少ないですよね。ただでさえ知らない人が多いのに、オーダーでつくっちゃうんですか。そんな方には初めて会いました。蔵書票を通じて心が通い合った気がして、なんだか嬉しかった。蔵書票ってチェコが発祥なの?そんな話をうっすら聞いてウィキペディアで見てみたら、プラハ出身の画家によって紹介されたのだと書いてありビックリ。チェコ好きのはんこ作家さんと蔵書票にこうした繋がりがあったとは。

 

自分にとっての「なんとなく好き」を、ただなんとなくで終わらせるんじゃなくて、突き詰めて考えていくことが大事なんだろうなぁと思った。美術の大学教育を受けていたわけでも何でもない。それでも絵を描くことが好きで、文章を書くことも好きだった。だからその「好き」を組み合わせて、自分らしい作品をつくる。彼女の蔵書票を自分の本に貼り、それを大切に読み続けることで、彼女のようなパワーを身に着けることができはしないだろうか。

 

 

このカフェのコーヒーが本当に好きなんだな。そう思えるコーヒーに出会えて本当によかったと思う。他のコーヒーを知らないくせに。世の中もっと美味しいコーヒーがあるかもしれないのに。そう言われるとも思うけれど、でも他の、もっと美味しいコーヒーに出会うためにいろいろ飲み歩く、といことはあまりしたいとは思わない。こうして家で言葉を書きながら、脇には美味しいタンザニアコーヒーがある。なんて贅沢な時間。自分の「なんとなく好き」の一つがコーヒーを飲みながら文章を書く時間だということに、改めて気づいた。この時間を、もっと濃密に。

 

背中のシュレッダーにかけ

神様にあったらこんな風に言うんだ

「どんな目にあっても生きていたいです」

誰も皆やっぱり同じように辛いって

この街の緑は キレイだね

(吉井和哉/シュレッダー)

  

電車が走ってくる線路に身を投げて命を絶ったり、

何の罪もない子供の命を奪った後で自ら後を追ったり。

このところ、こういうニュースを立て続けに聞いて、

なんだかやるせない気持ちになって困る。

どう頑張っても自分の力ではどうすることもできないのに

自分はそもそも被害者でもないのに。

 

ただ、この歌詞のような言葉が頭の中にあるからこそ、

自分はそうではないのだ、

自分はそれでも命を絶つという結論に至らずに生きるんだ、

と思い、踏みとどまることができているのだと思う。

こういう言葉を皆が皆頭の中に描いていて、

一線を超えようとしたときの自分にブレーキをかけるようであれば、

こういう暗いニュースも減るんじゃないかと思う。

 

THE YELLOW MONKEYの中でも特に大好きな曲に「球根」がある。

ドカーンとはじけるように、そして脳に突き刺さるサビのメロディが心地よい。

その「球根」を聴くときと同じような種類の電流が体内を流れるのが、

「シュレッダー」という吉井和哉のソロ曲だ。

かつて会社の上司といったカラオケで調子に乗ってこの曲を歌い、

ポカーンとされたことをなんとなく覚えている。

大切な曲だ。

この曲にまつわる嫌な思い出は、背中のシュレッダーにかけて忘れ去りたい。

 

愛と平和の呪文だよ

長い長い縄を飛んだ 大きな大きな輪を描いた 

高く高くジャンプしたら

愛と平和の呪文だよ

ラーマ シータシータ ラーマラーマ

チッタチッタ

(THE YELLOW MONKEY/Titta Titta)

  

自分の中にある限られた語彙を組み合わせて

なにか意義のある言葉を紡ぐことができるのなら、

それをこうして文字に残すことで

そんなことも考えていたなぁ、なんて振り返るきっかけになったらいい。

 

イメージするのは、子供が長縄跳びを跳んでいるのを外から眺めている景色。

愛と平和。Love and Peace.

いまのイエローモンキーのなかでも最もはっちゃけた「お気楽ソング」を

口ずさみながら今夜も自分の中に眠っている言葉を掘り起こす。

 

オダサガ文化祭

6月15日。土曜日。

 

小田急相模原で海福雑貨さんが運営する「オダサガ文化祭」に行ってきた。去年の初参加からちょうど1年。あれからもう1年経ったのか、と時間の早さを感じずにはいられない。

 

会場内は超満員。集客力の強さを感じる。作家さんの人気もあるのだろうけれど、そういった作家さんや作品を広く、多く紹介している雑貨屋の地道な活動がきっと奏功しているんだろう。

 

大好きなイラストレーター、hashimoto hiromi さんの原画に引き込まれる。静かな夜の世界が自分の身体と同化する感覚を楽しむ。ポストカードは大判が良い。

 

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大きなキャンバスにその場で絵を描くライブペイントがすごい。なお【空想絵画物語】の絵は心を浄化してくれるようだ。目の前で大胆に塗られていく色を観ながら、完成品を自分の頭でイメージする。そしてできた完成品を今日SNSで観て、しびれるという循環。絵を描いている時は集中しているので声はかけられず、ぶたの貯金箱にお金を入れてポストカードを手に取る。野菜の無人販売所をふと思い出しつつ、頑張ってくださいと祈りながら100円玉を貯金箱にいれたら、ちょうどなおさんと目が合い、ありがとうございますと真っ向から言われ、たじろいだ。

 

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何分作品をじっと見てても一切うるさい営業トークをしてこない、ハニカミヤの絵のファンになりつつある。かわいいという一言で片づけるのは嫌だけれど、でもそれ以外の言葉が出てこない。ホスピタリティにあふれているのか、根っからの性格なのか、優しい接客姿勢も嬉しい。

 

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終わったら東林間方面へ歩く。1年前も立ち寄った喫茶店「こーひーはうすJ」で休憩。強い雨の中、入り口前の豊かな緑がみずみずしく、元気なように見えた。

 

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毎日アメブロを更新し続けるおかみさんのパワーに圧倒。自分も続けなければダメだ、という叱咤激励を、まさかこんなところで受けるとは思わなかった。

 

雨でテンションは下がり気味だったけれど、収穫も多かった土曜日。

 

自宅にアートを

自宅のインターネット環境の具合が良くなく、駅前のWi-Fiを使ってスマホで書いている。ネットが思い通りに使えないとイライラするこの感じ、いい加減脱したいと思うのだけれど、仕方ない。

 

来年の住み替えに向けて、インテリアをあーだこーだ考え中。せっかく、自由設計を体験することができるのだから、最大限自分のライフスタイルに合致した住まいをつくりたい。けれども、当然のことながら空間には制約があり、予算には制約がある。夢の国をつくる訳じゃないんだから、現実をみなければならない。加えて、毎日を過ごす生活空間なのだから、刺激だけを求めて落ち着かない場所にはしたくない。なんとなくやってみたいとは思うけれど、必要ない、というものは多い。バランスを、大切にしたい。

 

アートパネル、ポスター、絵画、イラストを飾ることを、いままでにないくらい真剣に考えている。ただ部屋が殺風景だからアートでも飾ろうかな、好きな絵があるし、くらいの感じだったら、むしろ飾らないほうがいい。そういう意見にも触れて、その通りだと膝を打った。場所を間違えるくらいなら、ない方がすっきりしてて良い。でも、あることで空間が引き締まり、空気が劇的に変わる、という効果が期待できる点で、アートを取り入れたいと思っている。いままでは「そんなのいらない。あるだけ邪魔だ」と思っていたから、これも自分で考えて住まいづくりをする機会を得たからこその気持ちの変化だ。さて、どこに、どういうアートを飾ろうかな。

 

実は、寝室かリビングに飾るものは一つ心のなかで決めている。大好きな作家さんの絵だ。見ていると心が落ち着き、その絵のなかのゆったりした世界に自分がすーっと入り込むような感覚を味わえる。そんな絵が例えば寝室にあって、毎晩眺めることができたら最高だ。

 

あとは、あまりインパクトがあるものじゃなくて、カラフルなものでもなくて、威圧感を与えないようなもの。そういうアートをさりげなく飾りたい。気分に応じて定期的に替えるのもありだろう。構えて考えず、そんなに高くないものを、気軽に掛け替える。どんなものがいいか、InstagramやPinterestで探すのも楽しい。

 

この、住むまでのつくる時間、考える時間こそが、住まいづくりの一番有意義な時間なんだと再認識した。

 

人それぞれのマイウェイ

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天気がいいから気分を変えにドライブに行くんだ 

フロントガラスに映った街路樹が流れていった

どんどん追い抜いてくれよ急いでなんかいないから

オレはこの景色の色をゆっくり感じていたいんだ

(吉井和哉/人それぞれのマイウェイ)

  

先週サボったジョギングをしながら、ふとこの歌詞が頭に浮かんだ。「ドライブ」を「ジョギング」に、「フロントガラス」を「汗で濡れた目」に変えれば、ばっちりだ。いまの自分の気分を的確に表現している。

 

1週間の怠慢のつけはすぐにやってきて、ちょっと走っただけですぐ息切れしてしまう。ランナーズハイを味わうより先に胸の痛みがやってきて、ほんのちょっとの快感が、もうそろそろいいや、と自分にブレーキをかける。それでも、そのほんのちょっとの快感が、また走ろうと思わせてくれる。

 

自分の働き方、仕事の進め方に相変わらず自信が持てず、どうすれば胸を張って社会に自分を役立たせることができるの、と自問を繰り返す毎日だけれど、走り終えると、そういったモヤモヤが汗と一緒に流れ出ていったような感覚を味わえる。その感覚がうれしいから、走れているようなものだ。

 

 

ほぼ毎週立ち寄る、自分にとっての自宅以外の居場所と言ってもいい。そのカフェがこの5月に2周年を迎えた。振り返ればこの2年、休むことなく新しい商品やイベントを発表し続けている。そんなに頑張りすぎたら、息切れしちゃわないかい?この先5年10年と続けてもらわないと、居場所がなくなってこっちが困るのだけれど。という私の心配も、まったくいらないんだろうと思うほどに、元気なカフェだ。おめでとうございます。

 

来年引っ越すのだということを報告しそびれていて、その話をしたら驚かれた。「寂しくなりますね」と言われたところで、まだ引っ越すのは来年だし、それに引っ越したってしょっちゅう来れることには変わらないし、そんな心配していない。ここが自分の居場所であるということは、自分の住む場所が変わっても、変わらない。

 

ロートアイアンのサインが経年変化を隠そうともせず、そこにあり続けるのと同じように、自分とそのカフェとの関係も、環境のちょっとした変化によらず同じであり続けられたら、最高だ。

 

 

勤めている事務所が同じくこの5月に30周年を迎えた。そんな節目のタイミングに現役のスタッフとして在籍していることを誇らしく思うのと同時に、そんな実績ある事務所で仕事をしているという重圧を、いまさらながら感じている。設計事務所で働きながら、ボリュームスタディひとつできなくてどうすんの。場違い感まるだしな自分を、自分には別の役割があるんだ、と言って正当化するのにも、もうそろそろ無理がある。

 

目の前のクライアントが「設計してもらってよかった」とか「コーポラティブハウスを選んでよかった」と言ってくれるんだったら、こんなに嬉しいことはないし、そういった言葉をもらえるような場所にいるから、仕事をしているようなものだ。自分自身こんな住まいづくりができたら楽しいだろうなぁ、という想いがあって、それを他の人にも味わってもらいたいから、続けていられるようなものだ。この「自分だったらこういうことができたら楽しいと思う」をこれからも大切にしたい。

  

決断できたのは、迷った時間があったから

~2012年5月~

 

社会人で最初の転機を迎えた時だ。迷いに迷い、どうしようか最後の最後まで悩み、とはいえあっけらかんと他人に相談することもできず、モヤモヤを繰り返しながら、当時勤めていた会社を辞めた。いや、どっちにしようかの選択で迷っていた、というとちょっと違うのかもしれない。心の奥底では、辞めよう、次の環境に行こう、と思っていて、その判断が正しいのだという確証というか、決め手が自分に降りかかってくるのを待っていた、と言った方が近い。

 

前向きな転職なんだ。より自分がやりたいことをするための決断なんだ。だから後悔しないんだ。と心では思っていたけれど、しかし同時に、続かなくてリタイヤした、脱落した、という想いもあった。もっと会社に利益をもたらしていて、「お願いだからやめないでくれー」と懇願されるくらいの成果をもたらしていれば、もっと堂々と辞めることができただろうに、そうもいかないのが相変わらず情けない。

 

~2019年5月~

 

とはいえ、転職先である現職で本日まで仕事をしてきており、在職期間が前職のそれを超えたいま、当時の決断が間違いだったとは思っていない。後悔はしていない。だからそんなに悩まなくて良かったじゃないか、とも思うのだけれど、いま振り返ってみると、そういうグチグチ思い悩む時間も必要だったんだとも思う。

 

あとで後悔しないかなんて、あとで後悔してからじゃないと分からないし。後悔してない、と自分に言い聞かせさえすれば、それは後悔してないってことなんだし。だからこの先、また自分の働き方、自分のもっている資源の社会への役立たせ方を考えた時に、その時の頭を振り絞って、時間をかけて、思う存分悩んだらいいと思う。そうやって決断したら、あとはその通りに動きさえすれば、その決断が間違いでないということを証明できる。

 

迷ったからこそ、決断できた。決断したからこそ、いまがある。いまを感謝できるような、そんな迷いを大切にしたい。堂々と迷える自分でありたい。

 

 

右脳と左脳

国立西洋美術館のコルビュジエ展が今日までだということを、昨日知った。最終日できっと混雑するに違いない、ゆっくり観られないに決まっている、と思い、スパッと諦める。早々に行かなかった自分が悪いんだ。混雑が嫌いで、渋滞が嫌いで、行列が嫌い。それを理由に行かないと決めてしまう自分には勉強熱心さが足りない。それだけたくさんの人が足を運んで観てるってことは、自分がそこで何かを学んだとしても、多数の他人と同じことを下にすぎない、そうやって行かなかった自分を正当化する。

 

代わりに、仕事終わりの午後、サントリー美術館へ。右脳と左脳の両方のアプローチで美術品の美しさを感じる展示。情報を得たうえでそれをなぞるように鑑賞することと、事前情報なく鑑賞すること。その二つを同時に楽しむ。ちょっと難しくて、鑑賞者がたくさんいたので一つ一つ自分のペースで観ることができなかったな。

 

自分が何かモノを好きだと思うきっかけは、ぱっと見のインスピレーションできれい、と感じる右脳的アプローチと、モノが生まれる背景やコンセプトに共感する左脳的アプローチと、両方あることに気づく。逆に、コンセプトには共感するのだけれど、よくよく見るとそうでもないなぁ、と思うこともあれば、ルックスはいいのだけれど、コンセプトにはあまり共感できないこともある。「これ、好きかも」と思う時の脳には複数の動きかたがあるのだということを、知ることができた。

 

書く習慣を心がける

なんとなく頭に思い描いていることを、書き記すこと。「おっこれいいアイデアじゃないか」と思ったことをすぐメモすること。行きたいところ、行くべきところをリストアップすること。なんでもいいから、書くことに対するハードルをとにかく下げて、どんどん記録する習慣を身につけたいと思っている。

 

 

きっかけは、ずいぶん前に買ってずっと手元に置いているクロッキー帳。建築学科の学生にとっては必需品だし、建築の設計者も身近に置いているものだ。エスキスは、自分の頭にぼんやりと浮かんだイメージを可視化する作業。形にすることで初めて、自分の考えに気づくということもある。

 

当然絵だけでなく、言葉も。何かで読んで心に残ったフレーズを、残しておく。あとで見返したときに、書いた当時のことを思い出して、忘れていたアイデアがよみがえることもあるだろう。だから手元にクロッキー帳を。ピンときたらすぐに書けるように。

 

 

「仕事のできるメモ魔」にあこがれる。メモをとることで他人に一生懸命さが伝わるというメリットもあるけれど、それ以上に、メモをとる作業によって記憶が深化されるという感覚の方が大きい。小学生の時に漢字練習帳にひたすら漢字を書いて覚えたように。そして、それと矛盾するようだけれど、書くことによって安心して忘れられるという側面もある。あとで見返せば辿れるんだから、頑張って記憶する必要がない、その安心感が、気持ちに余裕をもたらす。

 

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

 

 

 

いつものカフェで。カウンターでコーヒー飲みながらボーっとする時間も好きだけれど、クロッキー帳を広げて、思い浮かんだことをひたすら書き連ねる、その集中作業時間も好きだ。そういうとき、普段とは違う気持ちが湧きあがって、文字に現れるような気がするから不思議だ。

 

 

夕方、天気が良いし気分も良かったので走った。相変わらず運動不足がたたってすぐにバテるし、なかなか体力は戻らないけれど、それでも走りながらあれこれ考えている時間はとにかく気持ち良く、このハイな感覚があるから走れていられるのだと思う。本当は、ふと思い浮かんだ言葉をすぐ書き記せるように、クロッキー帳をもって走れたら最高なのだけれど、いかんせん、走りながら文字を書くのが難しい。汗で紙がベトベトになるだろうし。この問題を解決できたら、発明だと思う。

 

 

書くことを習慣にする。そうすると、仕事について日常的に考えることも習慣になりそう。休日は休みなんだから仕事のことは忘れてリラックス、というのも分かるのだけれど、そうじゃなくて、リラックスしながらもアンテナを張って、どうすればいまのプロジェクトがうまくいくか、もっと気持ち良く効率よく働くにはどう動くべきか、を考える。そうして頭から出てきたものを、クロッキー帳に書き記す。これを毎日のクセにできたら、もうちょっと、他人に振り回されず、自分を見失わず、丁寧に仕事ができるんじゃないかという気がしている。

 

実績が最大の営業ツール

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自宅近くの手作り市へ。大家さんが主催する手作り市は、毎回たくさんの人で賑わう。今日も同じ。作家さんを呼ぶ力、見つける力もすごいけれど、お客さんを集める力もすごいと思う。

 

自分が気になっていたのは、タイル雑貨の作家さん。もともとタイル職人だったのが、ある時を境に、ただ請け負うのではなく自分で作品をつくるようになったという。玄関床やキッチン壁など、オーダーに応じてタイルを貼る。請け負ってつくる職人から自らデザインしてつくる作家への転身というストーリーが、自分の心を動かした。自分もそうやって働き方をきちんと考えるべきなんだろう。

 

クライアントから次のクライアントへ、実績を通して口コミなどでその輪が広がっていくのだという。外を歩いていて作品を見て、気になったことがきっかけでたどり着く、というパターンも多いのだとか。その話を聞いて、「実績が最大の営業ツール」なのだということを改めて実感した。実績が、自らの仕事を一番的確に、分かりやすく伝えてくれる。

 

「多くの人に知ってもらえればそれで」なんだか謙虚だけれど、でもタイル貼りの巨大ゆばあばを転がして街を歩き、作品を知ってもらおうとするその姿勢を見て、自分で仕事をするってこういうことなんだと思った。

 

katsutile.com

 

遊びとしてのRUN

朝、河川敷を走る。習慣にしようとどれだけ胸に強く刻んでも、なかなか続かない。それを仕事のせいにする。本当に、よくない。

 

こうやって久しぶりに走ると、たいして距離が進まないうちにバテて足が止まりそうになる。だから少しづつでいいから続けることが大事なんだ、といつも走りながら思う。

 

でも走っている時は、何かを一身に考えることができるし、身体から汗と一緒に老廃物が流れ出ている感じがして気持ちがいい。気温も高くなってきた。朝起きやすくなってきた。これからが習慣化するチャンスなんだ。

 

「小休止のすすめ」でサイバーエージェントの藤田社長が、タレントのヒロミから遊びを教えてもらったと言っている。最初はシーバス釣りだったという。一方、自分はとてもじゃないけれど彼ほどがむしゃらに仕事をしてきたとは言えないし、どちらかというと「遊びもいいけどお前はもっと仕事に熱中しなさいよ」と言われそうなくらいだ。だけど、自分にとって仕事の緊張から抜けて一心不乱に取り組める趣味、遊びとはなんだろうと考えたときに、クラシックギターだったり、このブログだったり、手作り市巡りだったり、まぁ薄くもいろいろあるけれど、ジョギングって胸を張って言うのもいいなぁと思った。だって、走っている時は、確かに苦しいけれど、それは仕事の緊張やストレスとは違って、快感を伴う苦しさだから。仕事上の懸案事項はひとまず忘れて、自分の身体をリフレッシュさせる一番原始的で健全な方法だと思うから。

 

小休止のすすめ (SB新書)

小休止のすすめ (SB新書)

 

 

 

 

Good night

10連休も終わり。こんなにたくさんの休み、本当にありがたい。これでリフレッシュできなかったなんて言ったら絶対に他人に怒られるし、これで休めないのだとしたら休日が何日あってもダメだ。これだけ「サザエさん症候群」にならず、キリリと翌日へと気持ちが向かう連休最終日もあまりない。相変わらず憂鬱は待ち構えているけれど。

 

仕事もあった。家族と楽しく過ごした。自分のこれからのこともじっくり考えることができた。楽しいイベントもあった。そんな連休だった。一方、平成の特に最後の自分は不機嫌だった。特に仕事で。良くないと思いながら、うまくいかない自分にげんなりして、情けなくて、機嫌の悪さを隠すことができなかった。令和元年は、自分にとっての上機嫌元年。いままで意識してもできなかったことを、改めて胸に誓う。

 

素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから 好きな歌を歌う

(THE YELLOW MONKEY/JAM)

 

こんなすてきなオトナになりたいけれど、どこにも売ってないから、好きな歌を歌う。歌って、寝る。

 

Good night

 


THE YELLOW MONKEY – JAM

 

自分は作家にはなれそうにないけれど、作家を紹介することはできるかもしれない

雑司が谷の手創り市へ。一番の目的は、ジャムを買うこと。この手創り市で出会って本当に美味しいと思ったジャム屋さんがまた出店しているとのことで。そういえば、しばらくジャムを切らしていて、朝パンを食べるのをまたしばらくサボっていた。

 

ジャム屋さんと話をし(私は、他人に自分のことを憶えてもらえることが人一倍嬉しい質のようで、そういう人とは何度も会いたいと思う)、ハルカというみかんでつくったママレードジャムを買った。まっ黄色で、酸味が比較的少ないのだという。明日の朝ご飯が楽しみだ。

 

ここで、いろんな作家さんとその作品を見ながら思う。こんなにたくさん、自分の作品を発表しようとする人がいるけれど、彼、彼女らは、皆ちゃんとビジネスとして成立しているのだろうか。継続的に作品をつくりえる環境をもてているのだろうか。実際のところは当事者ではないので分からないけれど、きっとこういう人が集まる発表の場を必要とする作家さんも多いのだと思う。

 

実店舗を持っていて、手創り市の出店は自分の広報ツールの一部に過ぎない、という人もいるだろう。逆に実店舗を持たず、こうした出店をメインに活動している人もいるだろう。それとはまた別のパターンで、今日出会ったプリザーブドフラワー作家さんは、別に本業(庭師の見習いとのこと)があって、作家活動は副業なのだという。本業で得た知識、技術を作品作りに生かせるという利点もあれば、逆に作品作りで生まれたインスピレーションが本業の品質向上につながるという側面もあるだろう。いろんなケースの作家さんがいるなかで、それでも皆自分の作品の良さを知ってほしくて、アピールをする。その作品一つ一つに、メーカーの量産品にはない手づくりならではのあたたかさがあって、自分の生活をほんのちょっと豊かにしてくれる価値がある。だから、こういう作家さんがもっと胸を張って作品を発表し続けられる環境があってほしいと思う。

 

もし自分に何かできることがあるのであれば。自分自身はいわゆる作家として何かをつくり、その価値を発表することはできそうにないけれど、その代わり、こうしたすばらしい作品をつくる作家さんを紹介することはできる。この作品はこういう良さがあって、こういう考え方に共感できる方にはぴったりですよ、と教えてあげることはできる。そういう作家さんを多くの人に知ってもらえるような場所をつくるという役割だったら、もっと胸をはって、堂々とできる気がする。自分自身は住宅の設計はできないけれど、こんな素晴らしい設計者がいますよ、住宅がありますよ、と紹介するいまの自分の仕事と同じように。

 

R:ラグタイム -ragtime-

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大学時代にクラシックギターで演奏することを心の底から楽しみ、またいろいろな曲を聴いた。自分にとってはピアノ曲というよりはギター曲だ。もちろん原曲はピアノで楽しむ。だけど、ギターで弾くからこその面白さというか、軽快さを感じていた。

 

ラグタイムを好きになるきっかけはなんだったんだろう。そう振り返ると、必ず思い出す車がある。スズキの軽自動車「ラパン」だ。当時、テレビコマーシャルの挿入曲がスコット・ジョプリンの「パイナップル・ラグ」だった。本当に懐かしい。

 

スキップをしながら踊るような愉快な雰囲気と、小ぢんまりとしたかわいいボディの車が重なる。まさに今日知ったのは、「ラパン」がフランス語で「うさぎ」を意味する言葉だということだ。軽快に飛び跳ねるうさぎを思うと、挿入曲に「パイナップル・ラグ」を選ぶセンスの良さにびっくりせずにはいられない。

 

大学時代。自分で曲を選び、楽譜をつくり、アレンジをする課題曲に、この「パイナップル・ラグ」を選んだ。クラシックギターのやわらかい音色がマッチする自信があった。原曲のような明るさ、スタッカート感は出なかったかもしれないけれど、それでも満足のできる演奏ができたと思う。

 

「パイナップル・ラグ」がきっかけで、スコット・ジョプリンのその他の曲もたくさん聴いた。「エンターテイナー」はもちろん、「メープルリーフ・ラグ」「グラジオラス・ラグ」「ピーチェリン・ラグ」「ラグタイムダンス」と、好きな曲は多い。「イージーウィナー」もいいな。でも、ラグタイムの軽快なリズムを思うとき、決まって「パイナップル・ラグ」のメロディと、うさぎのようにかわいいボディのラパンが最初に頭に浮かぶのだ。