走る×考える

先に学んだ「複合行動」。複数のことに対応する柔軟性をもつことが大切、ということ。そのために別々の行動を組み合わせてみる。ここで、複合行動を意識していたわけではないけれど、「走る」ことと「考える」ことをセットにしていたことを思い出した。

 

ジョギングは確かに苦しいけれど、でも嫌悪感を持たずに続けていられるのは、ちょっと走った時のランナーズハイな時間が心地よいから。身体から汗と一緒に老廃物が排出されているような感覚があって、脂肪も燃焼されているような感覚があるから。そしてなにより、じわじわくる苦しさから逃れるためには、何か気を紛らわせるようなことを考える必要があり、いろいろなことを考えることができるからだ。

 

江戸川の河川敷を走りながら、いまの自分の仕事の進め方だったり、新しいプロジェクトをどうやって立ち上げるかという構想だったり、なにをどう勉強したら尊敬するあの人に使づけるかという妄想だったり、そんなことを考えている。その時間がただただ清々しくて気持ち良いから、走っているようなものだ。痩せるんじゃないかとか、健康に良いんじゃないかとか、ましてや寝坊した朝に駅まで全速力で走る体力がつくんじゃないかとか、そういった動機は、全くないわけではないけれど、副次的なものにすぎないのだと思う。

 

これからどんどん寒くなって、どんどん「さぁ走ろう」と最初に腰を上げる動作ができなくなってくる。走ることによる心地よさより、布団にもぐる心地よさが勝ってしまう。そうなる前に、もうちょっと走ろう。