本のリレー

岡本仁「果てしない本の話」を読んでいる。少し前に「続々 果てしない本の話」を読んでその構成に惹かれ、今日本屋でその前編を偶然見つけ、手に取った。本にまつわるエッセイで、ある本から別のある本へ、リレーのようにバトンがつながっていく。美術に建築、音楽と、さまざまなジャンルを縦横無尽に行き来する本のリレーに、読んでいる方も興奮してくる。きっと、広範囲にわたっての好奇心があって、好き嫌いなく(嫌いなものも嫌いであると認めたうえで)たくさんの本を読んできているのだと思う。

 

実際の出来事と、関連する本とを結びつける作業を面白いと感じるようになったのはいつからだろう。そんな折にこのエッセイを読んで、自分もそうやって出来事と本とを結びつける文章を、書きたいという想いを強くした。しかしそのためには、日ごろから習慣のように本を読むこととと、その本にまつわる出来事を記憶しておく必要がある。読んだというストックが少ないとバトンをつなぐ相手がいなくなって終わってしまう。また、なにかいいことがあったなぁとその時は印象に残っていても、3日経って忘れてしまったら文字にすることができない。意外とハードルは、高い。

 

リレーのようにストーリーがつながっていく、ということから伊坂幸太郎「ラッシュライフ」を思い出す。ちょっと間抜けな泥棒。宗教にのめりこむ青年。不倫相手との再婚を企む女性。野良犬を拾う無職の男。4人のそれぞれの物語が少しづつ交差して、ある人の出来事が別のある人の出来事を支えているということが徐々に分かってくる。村上春樹の「1Q84」で初めて別の主人公の話が交互に進むという手法を知り、そのあとで「ラッシュライフ」を読んだから、4つもの話がどう収束するのだろうという期待が過度に膨らんだのはよくなかった。もっと予備知識なく、あまり期待することなく読んでいたら、もっとそのスリリングな展開にドキドキできたかもしれない。

 

「ラッシュライフ」を読んでいたのを鮮明に覚えているのは、事務所近くのガレット屋さんで、夜、事務所を抜け出して休憩していたときのことだ。一度行っただけで顔を覚えてくれて、二度目には「この間来てくださいましたね」と声をかけてくれたその店員さんは、聞くと小説を読むのが好きで、自分がその時手にしていた「ラッシュライフ」に興味をもっていた。「伊坂幸太郎。私、好きでよく読んでるんです」そんな好きな本の話を店員さんにすることなんてあまりなかったから、少し緊張した。彼女はその代わりと言わんばかりに、天童荒太「家族狩り」をオススメしてくれた。オススメされた、というとちょっとニュアンスが違う。オススメはしません、読むと暗い気持ちになりますから。だけど人間の本質を知れるような気がして、いいですよ。そう丁寧に教えてくれたことで完全に自分はノックアウトされ、このお店の大ファンになった。

 

あれから何年経ったんだ?しばらく行かないうちにその店員さんはお店を辞めてしまい、またしばらく経ったら閉店してしまった。自分がお店の売り上げに貢献できなかったことを悔やみながら、本棚に置かれた文庫本を眺める。第三部「贈られた手」まで来ているが、まだ読み終わっていない。彼女の言う通り、暗い気持ちなることを無意識に避けているのだろうか。読みたいという気持ちはあっても読めないということが現実にあることを、この本で思い知った。

 

果てしのない本の話

果てしのない本の話

 

  

ラッシュライフ (新潮文庫)

ラッシュライフ (新潮文庫)

 

  

贈られた手―家族狩り〈第3部〉 (新潮文庫)

贈られた手―家族狩り〈第3部〉 (新潮文庫)