仕事の進め方を考える

休日を有意義に!なんて思いながら始めたブログなのに、土曜日に放心状態のまま帰ってきて、もしくはぼーっとしてやる気が起きなくて、書くことができないなんてことが続いている。これではいけない。今日だって、昼間事務所へ早めに行って仕事を片付けようと思っていたのに、起きたら昼前。目は覚めているのだけれど、身体が起きようとしなかった。エイヤと起きてしまえば楽だということを知っているのにも関わらず。こういうときはたいてい、昼間にやりたいと思っていたことが時間オーバーでできなくなり、もっと早く起きればよかったと後悔するのだ。

 

休日だからといってぐずぐず寝ているのは、罪だと知った。いや、本当は知っていたけれど、改めて思い知らされたといったほうが正確だ。別に運動をするとか、どこかへ出かけるとか、そういうことが全てではない。何か、それは仕事のことでももちろん良いのだけれど、一生懸命考えて、熱中する。そういう時に感じる高揚感。いま時間を忘れて集中しているなぁと気づいたときに感じる快感。その気持ち良さを、もっと大切にしたらいいんだ。その気持ち良さを、味わうことに対してもっとがめつくなっていいんだ。そう思った。

 

 

仕事の本質とは?自分なりの答えを書くと、「自分が動くことで他人を喜ばせて『ありがとう』と言ってもらうこと」。そのためには、他人が抱えている問題点を「解決する」というプロセスが必要。そこでふと、「『請負型』から『企画提案型』へのシフト」というテーマが頭に思い浮かんだ。前職でのことだ。

 

以前ゼネコンで建設営業の仕事をしていた。請負工事を受注する営業。クライアントに対して「うちで建てませんか?」と営業する。その過程には、売地情報を紹介したり、概算見積を出したり、自社プランを提案したり、といった積極的なプロセスがもちろんあるのだけれど、基本的にはクライアントの「建物を建てますよ」という目的があって、「おたくにお願いします」と依頼を受けることで初めて成り立つ。そこを「受け身型の仕事」=「受け負け」と以前の自分は捉えがちであった。だからこそ、自分で「社会にはこういうニーズがあるのではないか?」と先回りして考えて企画を立てて、「こんなのどうですか?」と紹介する企画提案型の販売業、つまりは自社ブランドマンション分譲というプロセスに、受注型にない積極性・自主性を感じていた。それこそが社会に対して価値を提供する仕事なのだと思っていた。

 

だけど、ここへきてその考えも変わりつつある。180度変わるというよりは、もっと柔軟に考えられるようになった、といった方が近いかもしれない。仕事は、自分から先回りして価値を見つけて、これどうでしょう、と紹介することだけではもちろんない。まず「こういう問題点があるのだけれど、どうにか解決できないでしょうか」というクライアントの発意があって、それに対して自分はどうやったら解決してあげることができるだろうか、と考える。そういう順番。まずクライアントありき、不満・不安ありき。それを十分にヒアリングしたうえで、解決策を一生懸命考える。それこそが本当は仕事であり、だからこそ真剣に考える動機になるんじゃないかと思えてきた。

 

誰か(確か糸井重里さんだったと思う)がどこかで言っていたと思う。「仕事とは来た球を打ち返すこと」。この言葉が本当にしっくりくる。ボールが来るから、それを打ち返すことができる。ボールが来ないのに振っても空振り。もちろん「こういう需要があるんじゃないか」という予感(それは仕事においては確信なのだろうけれど)があって、「これ、いいでしょう?素敵でしょう?いかがですか?」と提案する積極性も大事なのだけれど、それだとリアクションが全くない可能性だってある。「あなたにとってはいいものかもしれないけれど、それを欲しがっている他人は実際にはいません」という可能性もある。仕事にならないことを惜しまずに動くことも必要だとは思いつつ、でもできれば無駄は少なくしたい。相談をしてくれた相手に対して、自分はどう寄り添うことができるかと考えた時に、スムーズに身体や頭が動く気がする。

 

もちろん、相談してもらうためには、ただ待っているだけじゃダメだし、それまでの実績をアピールすることが大事。だから「自分から積極的にボールを放つこと」と「来たボールをよく吟味して、それに対して打ち返す」の二つを両翼に、仕事をしていきたいと思った。