決断できたのは、迷った時間があったから

~2012年5月~

 

社会人で最初の転機を迎えた時だ。迷いに迷い、どうしようか最後の最後まで悩み、とはいえあっけらかんと他人に相談することもできず、モヤモヤを繰り返しながら、当時勤めていた会社を辞めた。いや、どっちにしようかの選択で迷っていた、というとちょっと違うのかもしれない。心の奥底では、辞めよう、次の環境に行こう、と思っていて、その判断が正しいのだという確証というか、決め手が自分に降りかかってくるのを待っていた、と言った方が近い。

 

前向きな転職なんだ。より自分がやりたいことをするための決断なんだ。だから後悔しないんだ。と心では思っていたけれど、しかし同時に、続かなくてリタイヤした、脱落した、という想いもあった。もっと会社に利益をもたらしていて、「お願いだからやめないでくれー」と懇願されるくらいの成果をもたらしていれば、もっと堂々と辞めることができただろうに、そうもいかないのが相変わらず情けない。

 

~2019年5月~

 

とはいえ、転職先である現職で本日まで仕事をしてきており、在職期間が前職のそれを超えたいま、当時の決断が間違いだったとは思っていない。後悔はしていない。だからそんなに悩まなくて良かったじゃないか、とも思うのだけれど、いま振り返ってみると、そういうグチグチ思い悩む時間も必要だったんだとも思う。

 

あとで後悔しないかなんて、あとで後悔してからじゃないと分からないし。後悔してない、と自分に言い聞かせさえすれば、それは後悔してないってことなんだし。だからこの先、また自分の働き方、自分のもっている資源の社会への役立たせ方を考えた時に、その時の頭を振り絞って、時間をかけて、思う存分悩んだらいいと思う。そうやって決断したら、あとはその通りに動きさえすれば、その決断が間違いでないということを証明できる。

 

迷ったからこそ、決断できた。決断したからこそ、いまがある。いまを感謝できるような、そんな迷いを大切にしたい。堂々と迷える自分でありたい。