エッセイ

エッセイを書きたい。正確に言うと、美しい言葉でエッセイを書けるような男になりたい。

 

そう思ったのは、たぶん松浦弥太郎さんのエッセイを読んだからだと思う。きれいに流れるような文章で、実際の出来事や、自身の内面を表現する。思わず「そうそう」と膝を打つこともしばしば。そんなエッセイを書くことが出来たら、今以上に心が豊かになるのではないか。

 

なによりも、身のまわりで起きたことや、そのときに感じたことを言葉に残すことで、あとで見返したときに「あの時はこういうふうに考えていたのか、自分は」と気づくことができる。いまの考え方と違うことを思っていたとしたら、それだけ時を経て成長したのだ、という実感も持てるだろう。自分の思考の変遷をたどるための道しるべとして、その時その時に感じたことを言葉で残していきたい。

 

 

だから、自分よりもはるかに年下でありながらも、強く、信念をもって言葉を扱い、それを仕事にしている人に会った時は、感動したし、尊敬する。

 

休日出勤が重なったため、先日振替休日をいただいた。貴重な平日休み、普段いけないところへ行こう。そう思って、下北沢の平日限定開店の店へ行き、帰りに好きな本屋に行った。毎日トークイベントを開催しているその本屋は、もしそのイベントがなかったら手に取っていなかったであろう本に興味を持たせ、そして買わせることができる。著者を知り、その本の深い部分を知る。書き手をとおしてその本の世界を知る。そしてそれが次の別の本への興味につながる。良い流れだ。

 

そこで出会った女性詩人の言葉が印象的だった。女子高生の時に詩で賞をもらい、将来詩人になろうと思ったけれど、それは勇気を出したうえでの決断では決してなく、自分にとってそれしか選択肢がなかった、自分にとってはむしろ保守的な選択だった、と。そして、言葉にできないことで感じるもどかしさこそが、言葉を書き続ける原動力になっている、と。言葉を生み出すという行為に対する真摯な姿勢に、心を打たれた。対談者が「奇跡のエッセイ」と大絶賛していた本を手に取り、ご本人のサインまでもらってしまった。こんな体験、毎日開催のイベントをとおして著者と読者をつなぐこの本屋を知っていなかったら、絶対にできない。

 

さっそく読んだ彼女のエッセイに登場する彼女自身は、あまりに正直で、決してカッコつけていない。飾らずに、ありのままを綴るその姿勢を知り、一日でファンになってしまった。彼女のように、正直に言葉を生み出せるようになりたい。

 

臆病な詩人、街へ出る。 (立東舎)

臆病な詩人、街へ出る。 (立東舎)