メディアへの向き合い方を考える

自宅にテレビを持っていないので、普段テレビを観ていない。ニュースなど主な情報の入手先は、ネットがほとんど。新聞の購読は一時期していたけど、しなくなった。その反動か、正月休みで実家にいると、ずっとテレビを観ていたくなる。新聞も読みたくなる。考えてみたら、昔からテレビっ子だったんだ。いまだって、観なくてもなんとかなる、受け身でダラダラ観る時間を他のことに費やした方が良い、と思っているけれど、本当は観たいと思っているんだ。

 

テレビという超巨大なメディア。コマーシャルという広告を観る代わりに無料で面白い番組を観ることができるという仕組みは、小さいころから当たり前のように味わってきたけれど、よくよく考えると画期的だと思う。その「メディア」を、小さいころから何気なく観ているのと同じようにではなく、真剣に、あるときは本当にそうかと疑いながら、観ることが大事だと思った。報道されていることは全てウソだと思え、というわけではない。ただ、報道されていないウラがあるのではないか、そのウラはメディア側の事情で操作され、意図的かつ選択的に伝えられていないのではないか、と気づくことが大事なのだと思った。

 

 

自分が無知であること、無能であることをさらすことで利益を得ようとする「クレーマー」の存在について。弱者と強者との利害対立において「とりあえず」弱者を推定正義とするメディアが果たすべき役割について。など、メディアへの向き合い方を考えさせられる講義録。ただ受け身で情報を飲み込むだけの思考停止に陥らないために。正月休み、自宅から持ってきた文庫本を読んでいる。

 

街場のメディア論 (光文社新書)

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