上機嫌な年に

大晦日を、ゆっくりと過ごしている。毎年、こんなにボケっとしていていいのか、いやいやダメだろう、と罪悪感を感じるような過ごし方だ。久しぶりに親戚と会って楽しく話をするくらいで、あとは普段ほとんど観ないテレビを楽しむだけだ。格付けチェックの再放送を見て、GACKTとYOSHIKIの安定感に舌を巻く。それでも、すごいなぁ、よく分かるなぁ、自分とは住む世界が違うんだなぁ、と投げやりになるんじゃぁなくて、彼らが食に対しても芸術に対しても真剣に向き合っている結果なのだということをまず認めて、自分もそうやって真剣に、一歩踏み込んで一流のもの(と言われているもの)と対峙する姿勢が必要なのだろうと思った。

 

今年は特に、これをなしとげた、という大きな達成感を得たうえで年を越す感じではなかった。いつものようにあっという間に、なんとなく年の瀬が来てしまった、という感覚に近い。だけど、仕事ではプロジェクトが進み、また好きな手作り市をめぐっても良い縁がたくさんあった。ひとつひとつの出会いを大切に、これからも育てていきたい。もちろん仕事も、もっと主導権をとって、自分の力で企画をたてたい。

 

もうひとつ、いつもそうでありたいと考えて意識していながら、なかなかできないことに「上機嫌になる」がある。仕事を中心に、ついうまくいかない不甲斐なさを表に出してしまう。それでも、上機嫌な人間にあこがれる。「機嫌が悪いところ、見たことないよね」そう言われたい。そうなりたいと思ったのは、上機嫌は天性のものではなく、たとえ不機嫌であってもできる「技」なのだということを知ったからだ。他人に不機嫌だと思われてしまうのは、不機嫌なのではなく、上機嫌でいるための技が身についていないだけなのだ。不愛想と無縁な年にしたい。