他人から学ぶこと

仕事終わりにいつものカフェでコーヒーを飲む。閉店ギリギリでほとんど居られなかったけれど、それでも、ちょっと人と話をしたい、話をすることで、心の中のもやもやした煙のようなものを、取り払いたかったのだと思う。そう、自分にとって行きつけの喫茶店は、コーヒーを飲むところである以前に、そこで過ごすことで気持ちをリセットさせて自分を次へと向かわせる、そのための居場所なのだ。

 

カフェを開業するという夢を叶えた店主も、一時期社会人をやっていたころがあったという。やりたいことをやるために、技術を得るために、必死に勉強していた頃。仕事で成果を上げることと勉強との両立がうまくいかず、身体も悪くし、結局はすぐにやめてしまったけれど、なんて当時のことを笑って話すけれど、そういうひとつひとつのストーリーに、自分も頑張らなきゃ、と奮い立たせてくれる種がある。短い時間であったとはいえ、営業成績のことを考え、朝早くから夜遅くまで仕事に励む。言葉にすると簡単で、自分もそうありたいといつも思っているけれど、なかなかできることじゃないし、社会人13年目になるいまもできていない自分に、情けなさを通り越して腹立たしさすら感じる。そうじゃないだろう、自分よ、と。

 

 

「世界に通用する会社の入社試験くらいパスできなくて、なにがフリーランスだ」イラストレーターの安西水丸さんの言葉を本で読んで、なるほどなぁと思った。本人はそういう自分のことをへそ曲がりと言うけれど、そうは思わない。その志がある人が、フリーランスでも食べていけるのだとすると、すごく自然な考え方にも思える。

 

プロ論。

プロ論。

 

 

 

「その時その時をね、全力で生きていれば大丈夫。問題ない」ミュージシャンの土屋昌巳さんがLUNA SEAのSUGIZOに言っている映像を観て、刺激を受けたことを思い出す。きっと自分の想像の遥か上を行く努力をして、こだわって、生きているのだと思う。それに比べたら自分なんて頑張っているうちに入らない。例えば、今日一日、全力で生きましたよ、と胸を張って言える日がここ最近あっただろうか。ないねぇ。「その時その時を全力で」それを、仕事に。

 


LUNATIC FEST. KA.F.KA

 

 

今日久しぶりに会った仕事相手から、彼がどうやって仕事をつくっていこうかと考えているかを聞いて、背筋が伸びる思いがした。自分で仕事をつくっている彼は、同時に営業マンでもある。仕事は待っていたって来るもんじゃないんだから、自分から取りに行かないとダメだろう。そのための、クライアントに面白がってもらうための努力は、たとえ成約に結びつかなくて無駄骨になったとしても、する。その姿勢が、以前から自分がそうありたいと憧れていた姿と重なった。ひきかえいまの自分はどうだろう。ちょっとしたサボタージュが「それは無駄なんじゃないか」という疑問を敏感に察知し、そこまでやらなくていいだろう、と思ってしまう。ちょっとサボったって、それが直接の原因になって成約するものも成約しなくなる、なんてことはないだろう、と思ってしまう。ずっと気を張っているのは無理だけれど、その怠け癖をちょっとでもなくさないと、進歩はないだろう。他人から学ぶことは本当に多い。