自転車とクラシックギターと、熱

好きで、たくさん乗りたくて買ったはずの新しい自転車に一度もまたがらずに、この3連休を終えてしまった。そうか、そんなもんなのか、と自分が自分に問いかける。新しいものへの愛は、熱中度合いは、その程度でしかないのか、と。そうか、買うまではものすごく熱をもって接していたのに、いざ買ったらその事実に満足してしまい、大半の熱は冷める、というやつか。本当は、こうして文章に書くとその気持ちが客観的な事実として残るようで嫌な気もしたのだけれど、でも隠すものでもないし、そう感じたのならむしろ残しておくべきであろうと思った。

 

自転車に乗って、行きたい場所はある。電車ではちょっと行きづらい、小さな美術館だ。もうちょっと遠い場所にある目標も、ある。そのためにはそれなりの装備も必要だけれど。その目標に向かって最短距離を進もう、というよりは、いまはそのための相棒を手にしたことにまず、満足したい。そして、ゆっくりと、目標までの道のりを味わいたい。5年後10年後に、「自転車?あぁ、あれね、飽きたし、もう捨てちゃったよ」なんてことには間違ってもならないように。

 

museum as it is/美術館 as it is

 

 

ひとつ手にしたらひとつ手放す。その考えに共感してクラシックギターを手放すと先日宣言したのだが、まだ手元にある。ケースがなくてなかなか売りに持ち出せないという物理的な問題もあるが、それよりも、思った以上に「未練」が邪魔をする。

 

bibbidi-bobbidi-do.hatenablog.com

 

そんなとき、ふと「手放さなくていいんじゃない」と言われ、我に返った、ような気がした。新しいことに熱中することでその熱が散漫になるほど、いまもクラシックギターに熱をもって接しているのか?と言われると、首を横に振らないといけない。二股なんてかけられない、なんてカッコつけていたけれど、今現在、熱中しているゾ!というほどではないのであれば、いままでと同じつきあいでいいじゃないか。なるほどそう思い、今日も彼を抱えては、優しい音色に、酔った。新しい曲に挑戦する気力がなくたって、こうしていればいいじゃないか。やっぱり他人の意見は複数聞かなきゃだめだと思った。