予定は狂うよどこまでも

金曜日の夜に休日の予定を立てる。そのときはワクワクしていて、やれる気持ちでいるのだけれど、土曜日の朝になると、そのとおりにいかない自分の身体に気づく。どうしても起きられないのだ。

 

大好きなカフェで朝食をとりながら健やかな朝を過ごすことも、昼前に事務所へ行って平日の仕事の残りを片付けることも、布団にもぐっているうちに頭がのぼせてできなかった。こうして予定が狂うことなんていつものことだと知っていながら、自分が誰よりもセルフコントロールができない弱い人間であることを知っていながら、それでも金曜日の夜に立てる予定にその弱さを反映させないのだから、つくづく頭が悪いなぁと思う。でも仕方ない。計画するときは気持ちも高まり、やりたいことをあれもこれもと頭に思い描き、その全てができる気がするのと同じだ。金曜日の夜には、できると思うんだもの。ちょっと頑張って起きさえすれば、すぐ最寄り駅で電車にも乗れるし、どこまでも続く線路を走って、どこへでも旅に行ける、そんな勇気が湧いてくるんだもの。

 

 

「偶然の力」小山薫堂さんの本で偶然を味方につけることの大切さを知り、偶然の出会いに気づくようにしよう、と最近意識している。重要なのは、とにかく動いてみること。動くからこそ、面倒くさがってたら出会わなかったであろう方とも、つながることができる。

 

ふと立ち寄ったいつもの本屋で普段あまり見ない書架を眺めていて、ふと目についたタイトルの本を、自分のその時の気持ちと無理やり重ねながら、でもあまり深く考えずにレジに持っていった。一書店員が書いたエッセイというくらいだから、正直中身については濃いものを期待していなかった。充実した内容を期待したというよりは、大物作家ではなく割と自分に近い距離にいるような一社会人が、仕事についてどう考え、どう行動し、その気持ちをどのように綴っているのか、興味があった。で、じゃぁ自分ももう少し頑張ってみるか、というように背中を押してくれるような文章が、ほんの一行でもあればいいなぁ、というのが本心だった。そうして数ページ読み、その期待を遥かに超えるすごい出会いだったと思い、自分の偶然力を自分でほめた。

 

探してるものはそう遠くはないのかもしれない

探してるものはそう遠くはないのかもしれない

 

 

彼女の、すべてをさらけ出す全裸のエッセイを笑いながら読んで、エッセイの楽しさを改めて思い知った。「どれほど言葉をやり取りしても、傍で長い時間を過ごしても、その人が書いたエッセイを読む以上に、その人の本当に触れることは難しいような気がする」(P137)書き手の本当のことを知ることができる最高のツールなんだ、エッセイは。そう教えられたことで、これからもいろいろな人のエッセイを読んでその人の内面を知って自分の生きる糧にしようと思ったし、自分もエッセイを書いたらそこに自分の本当がにじみ出るのかなぁなんて淡い期待を、した。どう頑張っても、本書のような面白い赤裸々エッセイを書ける気がしないけれど。いや、書店員のようにもっとたくさん本を読む生活をし続けたら、もしかしたら書けるのか?

 

このブログを、自分にとってのエッセイを書き、保存する場だとうっすら意識しながら今日まで続けることができているのは、「週末限定」というルールで始めたからに他ならない。毎日書こう!と意気込んでいたら絶対にすぐ挫折していたし、書きたいときに書こうなんてユルユルな気持ちでいたらなおのこと続かない。エッセイを書くという、自分の本当を表出させる行為を今日も意識できているのは、約9年前に「偶然」決めたルールの賜物だ。

 

偶然彼女の本に出会えて、思わず笑っちゃう読書体験ができたんだから、休日の予定が狂っても、まぁ結果良かったんじゃないかと思う。