雨が教えてくれること

ながいこと、雨を嫌っていた。気分は落ち込むし、足元は濡れてジメジメするし、寒いし、冷たいし。日常において切っても切り離せない存在であり、今後もずっと付き合っていくべき相手であるはずなのに、なかなか笑顔で「やぁ」と迎えることができない。6月生まれなのに、6月があまり好きでないという、不幸。

 

それでもいまは、割と毛嫌いせずにいられる。雨は、例えばテラスのウッドデッキを濡らし、革の靴を濡らし、コンクリート打ち放しの建物の外壁を濡らす。それぞれ、濡れることで経年劣化を繰り返し、色が変われば、肌触りも変わる。見た目が汚らしくなることもある。だけど、それがむしろ自然なのだ、その変化が面白いのだ、と少しづつ思えるようになってきたのかもしれない。「雨で濡れたら嫌だから、濡れないように」から、「雨が降ったら当然濡れるんだから、濡れた状態さえも楽しみに変えよう」へ。

 

今日も、ずっと雨だった。台風は近づき、街は警戒中。明朝の通勤時間を直撃するという台風は、いつも我々に言葉では言い表しづらい不安と、仕事や学校を休みたい人には期待を、抱かせてくれる。台風なんて毎年、まるで季節のルーティンのように来るのに、要は必ず来るのに、来るたびにあたふたしてしまうような空気が漂っている気がして、あまり嬉しくない。もっと堂々としていたらいいのに、と言ったら不謹慎だろうか。

 

夜、突然聞いたことのない警報音が部屋の中に流れた。なにかと思って音源をたどると、携帯電話。緊急速報メールで、住んでいる市川市の一部に避難準備が発令されたとのこと。ものものしい文面を読んで、決して堂々とできる状況ではないのだということを知る。自宅は範囲外であったけれど、内陸の方はがけ崩れの心配があるとか。君津市にいたっては、避難指示が出ている。こういうとき、自分がもし当事者になった場合、冷静に行動できるか?いざというときに自分の身を守るのは自分なのだと言い聞かせ、動けるか?「どうせ」なんて言いながら普段通り寝転がってしまわないか?と、思い描く。決して他人事ではない。

 

何事もないことを祈りながら、明日は、混乱に巻き込まれることなく、冷静にいよう。

 

人生で大切なことは雨が教えてくれた

人生で大切なことは雨が教えてくれた