ガレットとハーブティと真面目な女性

その貼り紙を見たのは、昼休み、食事をしたあとで電話をしながら歩いていて、事務所に戻る前に電話を終えたかったからちょっと街をふらふらして、ふとその店の前にたどり着いた時だった。「まことに勝手ながら」形式的な文字がすっと目に入る。嫌な予感がした。電話で話をしながら、閉店を知らせる貼り紙を読む。失礼だとは思いつつ、電話相手の話がぜんぜん頭に入ってこなかった。

 

 

洗練されたお店が立ち並ぶ街路、そのビルの2階にあるガレット屋さんに初めて入ったときのことは、なんとなくだけど覚えている。仕事が夜遅くまでかかりそうで、息抜きに事務所を出て、夜風を浴びながら歩いていたら、たどり着いた。クレープなんて主食でも何でもなく腹の足しにもならない、と思いながらも、それでもなにかひきつけられるものを感じ、扉を開けて階段をのぼった。落ち着いた店内で食べたガレットは、主食として十分な食べでがあり、またあたたかいハーブティに癒された。

 

 

「また来てくださいましたね」そう女性に優しく話しかけられたのは、二度目に、これもまた仕事が終わらず一服しに事務所を抜け出してお店に入った時だった。こういうとき、心臓が爆発しそうになるくらい嬉しい気持ちになるのは、私だけなのか?前回来た時に出会ったその真面目な印象の店員さんは、帰り際、私がケータイと財布しか持たず、手ぶらであったことを不思議に思ったのか、「お近くの方ですか?」と聞いてきた。えぇ、近くに事務所があって、いま仕事中なんです。もうちょっとかかりそうなんで、ご飯を食べに。こうして一言二言会話を交わすことができたので、「気さくな店員さんだな」とは思ったものの、正直それ以上の印象はなかった。それが二回目、相手が自分のことを覚えてくれていて、優しく話しかけてくれたことがとにかく嬉しく、その時点でこのお店は自分にとっての好きな店だ、と勝手に思うようになった。

  

 

その後も、本を読んでいたら「何読んでるんですか?」と聞いてくれて、伊坂幸太郎さんの「ラッシュライフ」の表紙を見せて、これ面白いよ、と好きな小説の話をしたり、逆に「私は彼の小説が好きなんです。天童荒太さん。『家族狩り』って、暗くてジメーっとした話なんだけど、人間の本質みたいなのが見えるようで、おススメです。いや、おススメはしないですかね。嫌な気分になっちゃうかも」なんて言いながら小説を勧めてくれたり、した。そうだ、近くの文具屋で買った「こころふせん」を使いたくて仕方なくて、帰り際、水のコップに「ありがとう」のこころふせんをそっと貼って帰ったのは、このお店が初めてだったかもしれない。あのドキドキは、忘れられない。

 

 

数々の思い出のあるお店だったが、ここしばらくは行けていなかった。それには理由がある。しばらく前に、そこでガレットを食べてハーブティを飲む以上の楽しみを与えてくれたその女性が辞めてしまったのだと別の店員さんから聞いたからだ。それが原因で行かなくなるほど自分は無礼じゃないだろう、と自分では思うものの、それでもどうしても足が向かわなかった。そんな折に、突然貼り紙を見たものだから、驚いた。なにより寂しかったのは、〇月×日をもって、という閉店日の日付が、ここ最近ではなく、しばらく前だったからだ。

 

 

尊敬する松浦弥太郎さんがどこかで言っていた。自分は古本屋さんが大好きだから、古本屋に立ち寄ったら必ず一冊は本を買う。その古本屋の売り上げに貢献したい、という気持ちの表れだ。そのこともあり、自分も閉店の原因のひとつなのではないかと思えてしまい、悲しくなった。

 

 

彼女はいま、どこで、なにをしているだろうか。「家族狩り」読んだよ、と言ったら、喜んでくれるだろうか。ダメだ、自分にはそう報告する資格はない。彼女の言う通り、あまりにもジメーっとしたストーリーなので、まだ読み終わっていない。