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エッセイ

いまでこそ人並みに本を読むようになったとは思うけれど、毎日、本からたくさんの情報を摂取して、自分の知識が増え続けているかというと、そうではない気がする。だいたいが、本を読んでいる時間そのものを快適に過ごすことが目的で、時間が経つと読んだ内容を忘れてしまうことも多々ある。しかもこのところ、読む本の分野が、専門書やビジネス書といったような「知識を得る」ようなものではなく、小説やエッセイが多い。意図的にそうしているというよりは、無意識に、そういう本に手が伸びてしまうといった方が近い。基本、頑張ってモノを覚えるにはそれなりの準備と環境が必要で、日々の読書でそういうことはしたくない。

 

エッセイは、書き手の心の中が垣間見れるようで、読んでいて楽しい。あ、自分もそう思う、とか、そういう考え方もあるのか、とか、他人が経験した事実から気づくことは多い。自分も、日々過ごしている中で気づいたこと、思ったこと、考えたことなどを、さらりとした文章でまとめられたら、どんなに楽しいだろうか、と思う。

 

でも・・・とも思う。エッセイを読んでいて楽しいな、心地よいな、と思うのは読んでいる数分、数十分のことであって、あとで何か余韻が残るかというと、それほどではない。なにか仕事で役に立つような知識、知恵、ノウハウが得られるかと言うと、それも少ないと思う。結局は、一瞬の快楽のために夜遅くに美味しいラーメンを食べてしまったり、甘いお菓子を食べたり、休日を昼過ぎまで寝て過ごしたり、といったような快楽におぼれているのと、そう変わらないのではないか。自分を形成する何かが後で残らないのだとすると・・・カッコつけてエッセイなんか読んでいるけれど、実は本当の意味で自分のためになる読書になっていないんじゃないか。ふと、そういう不安に襲われる時がある。というか、いまその不安に悩まされている。もっと読むべき大切な本が、いっぱいあるんじゃないだろうか、と。

 

「読書の目的は、そこから情報を得ることではなく、読む時間そのものを楽しむことだ」そんな言葉に出会ってから、気の向くままの読書を続けてきた。それが自分にとって良いことだと思い続けてきた。別に知識なんて得られなくたっていいや、あとで内容をほとんど覚えていなくたっていいや、というように、情報の蓄積を拒んできた。果たしてこの読書が自分にとって正しいのか、それは正直分からない。ただ、もし「いや、やっぱりエッセイばっかり読んでちゃだめだ。小説ばかり読んでちゃだめだ。もっと難しい本もたくさん読んで、知識を得て、仕事に直接いかすべきだ」という結論に至るには、まだ自分はエッセイや小説を読んでいなさすぎる。もっとたくさん、いろんな作家さんのいろんな本を読んでから、いやこれは違う、と言えるようでありたい。

 

彼のエッセイも大好きだし、彼が紹介するエッセイも読んでみたいものばかりだ。

 

 

ぼくのいい本こういう本 (朝日文庫)

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くちぶえサンドイッチ 松浦弥太郎随筆集 (集英社文庫)

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独りの珈琲 (知的生きかた文庫)

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旅先でビール

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