死神の精度

昼ご飯を食べによく行くハンバーグ屋さんが駅前にある。笑顔が素敵で、気さくに話しかけてくれる店員さんが印象的だ。もちろんハンバーグも美味しいのだけれど、店に行こうというとき、どちらかというとハンバーグよりも店員さんの方が頭に浮かぶ。結局、行きつけの店は人間で決まるのだなぁと改めて思う。

 

その日もいつもの店員さんが、はち切れんばかりの笑顔で出迎えてくれた。行った時にその店員さんがいなかったことがあまりないので、ほぼ毎日出勤しているのではないかと思う。特に飲食業界は重労働で勤務日数が多くて大変というイメージがあるので、この明るさの裏では結構つらい思いをしているのではないかと勝手に心配している。それを彼女に口にしたら、きっと「仕事ですから」なんてサラッとごまかされるんだろうなぁ。「仕事だから」といって、普段できないことでも頑張ってやっちゃうというのは、私からしたらすごいことだ。仕事だからって、できないものはできない。

 

仕事が「もう憂鬱です。死にたいくらいです」と思うようなことの連続だとしても、仕事だからと割り切って振る舞っている中になにか光るものがあって、それを見ている人がいるかもしれない。そうして、光るものがもっと光り輝き、将来が明るくなることだってある。気さくに話しかけてくれる笑顔の眩しい店員さんと話をするたび、それを見ている人がきっといますよ、その明るさに触れて元気をもらっている人間が、少なくともここにひとりいますよ、ということを伝えたくなる。

 

その時、「死神の精度」を読んでいた。ミュージックを愛し、CDショップに入り浸りながら、人の死の可否を判定する死神「千葉」が出会う話。死をなんとも思わない死神が、実は生きていることに価値があるのだということをそっとささやいてくれている。そんな気がする。藤木一恵の境遇と、ハンバーグ屋における自分の目の前の状況がわずかに重なった。いいことがきっとありますよ、あたなの光を見ている人がいるんですよ、と藤木一恵に伝えたい。

 

死神の精度 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)