場所はいつも旅先だった

自分にとっての「旅」とは何か。「旅」に出ることに、自分は何を求めているのだろうか。そんなことを、考える。

 

場所はいつも旅先だった (集英社文庫)

場所はいつも旅先だった (集英社文庫)

 

 

松浦弥太郎さんが旅先で出会った人や出来事についてのエッセイで、こういうのが旅の面白さなんだなぁと気づかされる。ひきかえ、自分は・・・

 

まず海外については、社員旅行で行った中国が人生初海外で、それ以降行っていないから、ほとんど思い出がない。万里の長城をのぼった断片的な記憶しかない。別に海外にこだわらなくても、国内だっていいのだけれど、じゃぁ国内で「旅をしたなぁ」と思い出される記憶も、実のところほとんどない。俺は旅をしていないのかい?

 

でもこの本を読むと、何も特別な場所へ行って特別な人に会い、特別な風景を眺め、特別なものを食べて過ごすことだけが旅なのではないのだと気づく。それが例えば京都のホテルの部屋でのんびり寝て過ごし、どこへも出かけないということであってもいい。「あぁ、自分もいつでも旅に出ることができるんだ」「そんなに力まなくても日常を旅に変えてしまうことができるんだ」ということに気づいた瞬間、なんだか気持ちが楽になった気がした。

 

 

午前中、少し仕事で事務所へ行って、昼過ぎに帰宅したらなんだか無力感に襲われ、夜までほとんど何もできなかった。夜、この本と財布だけを持って駅前のパン屋に行き、コーヒーを飲みながらしばし本の中の旅へ。出不精で、旅に対して無頓着だから、旅を楽しむ他人の生き方から、なにか得られるものがあるのではないか。そう思いながら読んで、実は普段自分が、気を紛らわせるためであったり、寂しさを埋めるためであったり、仕事上の憂鬱な気分をリセットさせるために過ごしている時間こそが旅なのだと気づいた。そう、こうしてコーヒーを飲みながら本を読んでいるこの行為も、気持ちをリフレッシュさせる立派な旅だ。なんだ、いつも旅してるんじゃん、自分。

 

そうこうしているうちに、あっという間にコーヒーもなくなり、パンもなくなり、ただ読んでいるだけでは退屈になり、結局10~20分くらいで店を出ることになった。こういう旅の時間をもっと大切にしたらいいのに、どうも没頭できない。自分が本当にリラックスできる旅先は、どこなんだ?