機転と好感

初めて野外フェスに参戦し、興奮を味わい、音楽が自分の生活を潤す潤滑油であることを再認識したのも束の間、その後遺症たる筋肉痛と喉枯れは想像以上で、昨日は一日あまり動けなかった。普段使わない筋肉を使い、普段と違う動き方をしたからなのか?それとも単に運動不足なのか?さすがに情けない。

 

 

午後、中途半端な時間に眠ってしまい、起きたら夜だった。やろうと決めていた独学も、ちっとも進まない。こういうときたどり着く場所といったら、結局いつものパスタ屋しかないんだ・・・

 

寄り道した向かいの本屋で、いまの自分の状況に近い本を見つけ、手にとった。

 

独学術 (ディスカヴァー携書)

独学術 (ディスカヴァー携書)

 

 

「独学」は、独りで孤独に勉強をすることではない。特定の師匠を持たず、教科書に沿って覚えるのではなく、自分の力で学んでいくことだ。そして、独学によって知識を得ることが重要なのではなくて、学ぶ過程で得られる、調べる力だとか、仮説をつくる力だとか、疑問を持つことだとか、そういう能力の方が重要なのだと知り、目からウロコが落ちた。そうか、独学の目的は知識を得ることじゃないんだ。それなら、単にテストの点数で良い悪いが判断される学校の勉強ではダメで、自分で考えることが大切なのだ、という言葉にも納得がいく。

 

 

独学について考えながら、いつものパスタ屋で遅いご飯を食べていた。そのパスタ屋にはテラス席があって、天気の良い日はテラス席でパスタを食べるお客さんもいる。時間は夜ですでに暗かったが、比較的涼しかったので心地よかったのだろう、男性がひとりテラス席に座っていた。

 

自分が室内の席についてしばらくして外を見たら、その男性はいなかった。でも椅子にバッグがおいてある。飲みかけらしきワインもある。置き忘れて帰ったわけではなさそうだ。しばらくすると店員さんが、バッグにそっと布をかけた。その直前の店員さん同士の「かけておこうか」「そうだね、盗られちゃうよりはいいよね」という会話が漏れ聞こえていたので、目的はすぐに分かった。もちろん、パスタ屋の店員マニュアルに「お客さんが荷物を置いたままテラス席を離れたら、その荷物に布をかぶせて盗られないようにしてあげること」なんてあるはずがないから、まぁ間違いなく店員さんの機転だろう。すごいなぁと思った。

 

しばらくして男性が戻ってきた。自分のバッグにかぶせてあった布に気づき、最初はその意味に気付かなかったのかもしれない。店員さんにそのことをたずねていたようだった。店員さんがその目的を説明したのだろう、男性は、あぁそうでしたか、あんなボロバッグのためにそんなことまでしてくださって、すみません、気遣ってくれたんですね、と恐縮していた。その声を聞きながら、店員さんを見直し、自分がこの店によく行く人間であることをちょっと誇りに思うと同時に、外見は強面だったけれど実際は紳士的にお礼を言う、謙虚なその男性にも好感を持った。ちょっと残念だったのは、私がその店員さんと男性とのやりとりを背にする形で座っていたために、男性のお礼の言葉に喜ぶ店員さんの顔を見ることができなかったことだ。

 

「あっ、この人は機転がきくな」と思う出来事に遭遇すると、嬉しくなる。きっと、自分ができないことをやってのけているのを見て、その人を尊敬し、好感をもつきっかけになるからなのだと思う。そうか、誰かを尊敬することって、嬉しいことなんだ。

 

 3

 

イレギュラーな出来事に対して「こうしたらよいのではないか」と機転をきかせることも、学校や社会で教えてもらうものではない。自分で考えて行動することだ。その店員さんが意識しているかどうかは分からないけれど、これも独学でのみ得られるものなんじゃないか、と思う。