渦中にいなくても

事務所のスタッフに「この暑い中、ジョギングして汗だくになって、帰ってすぐ飲むビールは、それはおいしいぞ。やってみたらいいよ。」と言われた。下戸の私にナンてことを言うんだ、と思ったが、言わんとすることはよく分かる。それがビールでなくても、そんな状態で飲む飲み物なんておいしいに決まっている。

 

 

そのおいしいビールのために、ではなく、この気温の中でこそ走って汗だくになって、若干意識朦朧とするくらいのなかに、なにか「気づき」「得るもの」があるのではないか。そんな気がして、走ろうと思った。今日は日本各地で猛暑日だったらしい。大分では38度を超えたらしい。38度って、風邪ひいて熱出したって、なかなかそんなにいかないぞ。風邪ひいて寝込むレベルの体温より外の気温の方が高い、そんな状態で走って大丈夫なのかい?とも思った。それでもランニングシューズを履いて外へ出たのは、腹の贅肉と決別したいという意識と、中学高校の部活時代にヘロヘロになった、当時は嫌だった苦しみを少しは味わって、自分を追い込まなければダメになる、という危機感があったからだ。

 

河川敷まで歩き、ゆっくりと走り出す。橋の下で、警察官?警備員?らしき数人の男が何やら話をしていたのを見たとき、最初は特に気に留めていなかった。現場検証の研修かなにかか?なんてぼんやりと考えながら走っていると、いつもより多い人と、道路脇にポツポツと置かれたカラーコーンが目に入る。そして警備員風の人が何人か立っているのを見て、ようやく事態に気づいた。そうだ、今日は江戸川の花火大会だ。

 

まだ15時すぎくらいなのに、河川敷にはもうブルーシートが敷かれ、浴衣姿の女性がいたりした。始まるのは夜のはずなのに、もう場所取りか?ただでさえ不快指数の高い気温環境でしんどいだろうなぁとも思ったけれど、そんなことはどうでもいい。いまはそんななかわざわざ走っている、自分の方がよっぽどしんどい。

 

ベタに花火大会を楽しめるような人間でありたいと思う。花火は好きだけど、じゃぁ早めに行って並んで、待って、ということができるかというと、できない。自分には風情というものがないのか?一年に一度の夏のイベントで、自宅からすぐ近くにたくさんの人が集まって盛り上がっているのに、自分がその輪の中に入らないことに対して、さほど寂しさを感じない。そのことに、寂しくなりそうだ。

 

花火を楽しみに待つ人たちを見ながら、いつもの70~80%くらいのペースしか出せない自分に悶々としながら、遠くへ行きそうになる意識をなんとかつなぎ止めながら、走った。高校の部活のしんどい頃を身体が思い出した。それだけでも、収穫があったと思う。社会人になってから、自分の身体に苦痛を与えることを避けるようになった。もし、こうして楽な方へ楽な方へと考えてしまうことが、いまの自分の、なんでうまくいかないんだろうなぁという絶望感や、頑張らなければまずいという焦燥感につながっているのであれば、そんな考え方はいますぐ消し去ってしまいたい。自分の身体にムチを打つことの刺激を、取り戻した一日だった。

 

 

自宅に戻って、汗を洗い流してる途中で、事務所のスタッフの助言を思い出した。しかし、あいにく自宅にビールはなく、買いに行く気力もないため、その乾いた喉を麦茶でうるおした。うん、ビールでなくても充分にうまい。燃料代のかからない身体でよかった。

 

 

夜、行きつけのパスタ屋でご飯を食べて帰ろうとしたら、建物の隙間からわずかに花火が見えた。夏の風物詩は、よく見える場所へ行かなくても、賑わいの渦中にいない自分にとっても、充分にきれいだった。